hikari

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太陽の下で 途中

炎天下の夏、
私の茶色のパンプス先には、
ミミズが干からびて死んでいる。

都内ではしばらく見なかったこのミミズは、一体どこから迷い込んでしまったのだろう。これほどまでに人が多いのに、見事に避けられたミミズは、綺麗に干からびていた。

私は目の前のミミズを見た。呼吸するだけでだらだらと毛穴から汗が吹き出しているのを感じながら、私はそのミミズを見ていた。


お天道様のもとで、嘘偽りのない人間でいなさい。

よく、道徳の教科書や幼児向けの絵本などに書かれていそうな文言は、大人の社会においてもしばしば使われる。特に、嘘、といった項目においては、わかりやすい。大人になれば、嘘もつかねば生きるのは困難である。嘘をつき、人を騙しては、また騙されて傷つく。
ある人も、嘘をついて生きているくせに、人が嘘をついているのを見ると、途端に被害者面しては人を責める。
就職活動の面接も、嘘の真骨頂のようなものである。一度社会を知れば、マスコミや政治、利害関係にあるすべての人間が、「嘘」で塗り固められているように見えてくる。その中で、懸命に真実の人間でありたいと踠けば苦しくなる。なぜならば、嘘をつく人間を否定することは、いささか、今を生きる人間を傷つける。


私の家族が信仰している宗教もまた、嘘について敏感である。嘘だけではない。食べ物を残せば地獄に落ち、人を悪く言えば地獄に落ちる。子供でもそれなりに思いつきそうな悪事をすれば、神の裁きを受ける。そのような英才教育下でそだった私は、見事に虫一匹も殺せない子供となっていた。

とある日、小学校の教室にハエが入った。
私は二重窓の間にハエを追いやった。片方を少しずつずらしながら、外側の窓を開けていく。ハエは、ばちばちと体を不器用に窓にぶつけながら飛び立った。
私は、虫が大嫌いだった。鈍臭く鈍い音を立ててぶつかる羽音が嫌で顔を顰めていた。
私は、今助けている目の前の命を価値のあるものだとは感じられていなかった。ただ、この一匹を殺す自分自身と、じっと見つめる「カミサマ」の存在に子どもらしく畏怖していた。それは、私の心とは一切リンクしていない行動だった。

「なんで殺さんの」

一部始終を見ていたクラスメイトの男の子に聞かれた。私はなんとなく焦った。何にも悪いことをしていないのに、私は悪いことをしている気分になった。

「死んじゃうから」
「いいじゃん、べつに」
「よくない」
「なんで?」

私は、コイツ嫌いだなと思った。人の気持ちも考えずに、間髪入れずに質問をしてくる。ただ、当時の成熟しきれていない私は、自分の感情を理解するほどの器量がなかった。

「だって、かわいそう、だもん」

自分で言っておきながら、少しだけ気味の悪さを感じていた。本音は、だって、怒られるんだもん、という方が近い。

ふうん、と興味のない返事をして、クラスメイトはどこかへいなくなった。小学生の関心ごとなど、5分で終わる。大人もこうなれば、世の中は平和である。

11/25/2024, 2:16:59 PM