今年の花火は1人。
誰と一緒にみたかったのかななんて考えながら、ベランダから眺めている。
幼い頃は家族と、中高生の頃は友達と、昨年ははじめての恋人と。
夏のじめっとした風を肌に感じながら、潤いのある記憶を思い出す。のんびりとした間隔で派手に音を立ててひかる花火が、断片的に記憶を見せてくれているかのようである。
家族の職場からみた花火。どんな花火だったか覚えていないが、興奮してはしゃぎながら楽しんでみていた覚えがある。職場の人も家族もみんなで、ワイワイと話しながらみていたっけ。
友達とお祭りでみた花火。私が変わっても変わらなくてもずっと忘れないで、思ってくれている友達と。花火よりも友達が綺麗で、横顔をみていた気がする。憧れの存在のように、遠くにいくように思えて、花火すらも切なくみえた。
恋人とベランダから見た花火。場所も花火も今年と同じ。ただ昨年は好きな人が隣にいた。はじめて泊まりに来た日、ぎこちない空気の中花火を眺めていた初々しい甘い記憶。花火は今までで1番輝いてみえた。
そして、今年の花火は1人。
盛大に打ち上がってきらきら輝いて、儚く空に散るひかりに、思わず涙腺がゆるむ。
1人でみるのも悪くない。むしろ大歓迎である。
しかし、今の私は誰とみたかったのかすらもうわからないのだ。それが儚く空に散る光と重なり、切なくなってしまった。
一緒にみたいような、気がする人もいた。でも私と一緒にいてはいけないと、想いは殺している。
花火で思い出す人は、大切な人なんだろうと思う。
自分も、誰かの記憶に花火を通して干渉してないかな、なんて。
そんな願いも儚く消すように、フィナーレの大きな花火がどどーんと鳴り響き、夜闇に消えた。
8/9/2025, 1:01:11 PM