sairo

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夕暮れに染まる公園には、誰の姿もない。
誰かが置き忘れたのだろうか。砂場に築かれた山には、スコップが刺さっている。滑り台には溶け残った雪が滑り面の終端部を濡らしていた。
とても静かだった。昼間は子供たちの笑い声で満たされている公園の別の顔に、訳もなく落ち着かなくなる。

早く帰らなければ。
帰りを待つ人がいる。帰りが遅いと心配させてしまうだろう。迎えに来てしまうのかもしれない。

帰らなければ。
焦燥感にも似た思いが込み上げ、公園から目を逸らして踵を返す。
一歩、足を踏み出した時だった。

――きぃ。

公園から、微かな音が聞こえた。金属の擦れるような、悲鳴のようにも聞こえるか細い音。
振り向きたくはないのに、体は意思に反してゆっくりと振り向いていく。

――きぃ。

公園の奥から音は聞こえてくる。大きな滑り台の後ろ。入口からは見えない場所から途切れ途切れに響いている。
気づけば足は勝手に奥へと向かい進んでいた。

帰らなければいけない。焦る気持ちとは裏腹に、奥へと進む足取りに迷いはない。確かめなければという強い思いが浮かび、焦りをじわりと塗りつぶしていく。

――きぃ。

滑り台を通り過ぎる。
そこで立ち止まり、視線を奥へと向けた。

「ブランコ……」

小さく呟けば、答えるようにブランコがきぃ、と音を立てる。
誰も乗ってはいない。風もないというのに、小さくブランコが揺れていた。
まるで、見えない誰かがブランコに座っているかのように。

――鬼は……。

不意に声が聞こえた。ブランコが立てる音に重なり、はっきりとは聞こえない。

――鬼は、外……鬼は外……。

次第に明瞭になる言葉。ブランコが揺れ、不自然な影が纏わりついていく。
それは次第に小さな子供の影を作り出した。ブランコにただ座り、深く俯いている。

――鬼は外。鬼は外……内へ……閉じ込め……。

歌だろうか。繰り返す言葉に思い浮かぶのは、数日後の節分のことだ。
鬼は外。福は内。豆をまきながら唱える言葉が過ぎていくが、何か違うような気もした。
ゆっくりとブランコに近づいていく。俯く影は顔を上げない。ただ鬼は外と繰り返すだけ。
何が違うのか。それを知るため、聞こえなかった言葉を拾おうと耳を澄ませる。
そしてブランコの前に立った時だった。

「鬼は外、鬼は外。村から外へ、遠くへ追いやれ。柊立てて、転じて内へ。四方を打ちて、閉じ込めよ」

影が顔を上げた。

「――っ」

息を呑む。
露わになったその姿。細い手足。黒い衣と赤い下衣。
金の四つ目の仮面の奥で、静かな目がこちらを見据えている。

「鬼は外」

幼さが滲む声。異様な姿をした子供がブランコから降りる。
ざり、と地面を擦り、子供が足を踏み出す。

「外から内へ。鬼を閉じろ」

そこで、目が覚めた。



「いやっ!」

小さく悲鳴を上げ、継枝《つぐえだ》睦月《むつき》はベッドから飛び起きた。

「ゆ、め……?」

かたかたと震える肩を抱きながら視線を巡らせる。慣れ親しんだ古めかしい和室ではなく、どこか殺風景な洋室に一瞬だけ混乱する。

「あ……そっか。燈里《あかり》ねぇと一緒に村から出たんだっけ」

緩く頭を振り、睦月は苦笑した。
村を出て二週間以上経つというのに、未だに実感は薄い。小正月前の数日間の濃い出来事を思い出す度、今の穏やかさが夢ではないかと疑ってしまう。

「慣れないとなぁ。こんなんじゃ、燈里ねぇに気を使わせちゃう」

優しい家主を思い、小さく息を吐いた。
睦月がこの家で暮らし始めてから、家主である宮代《みやしろ》燈里は何かと気にかけてくれている。
不便はないか。足りないものはないか。押しかけた身であると自認している睦月にとって燈里の気遣いが、逆に申し訳なく思う。せめてできることをしようと率先して家事を手伝っているが、それが燈里の庇護欲に拍車をかけていることに睦月は気づいていなかった。

「っと。ご飯の準備をしないと」

カーテン越しの仄かな明るさに気づいて、睦月はベッドを抜け出した。夢の残滓を消すように大きく伸びをして、深く息を吐き出した。

「それにしても何だったんだろう?あの夢」

見覚えのない公園だった。ブランコに乗っていたあの異形の面をつけた子供も、見たことはない。
所詮は夢だと思いながら気にかかるのは、睦月が故郷の村で起きた悲劇を夢に見ていたからだろうか。
ヒガタという、小正月の来訪神を思い出しながら、何気なく枕元の時計に視線を向けた。



聞こえた悲鳴に、目覚めたばかりで微睡んでいた燈里の意識は一瞬で覚醒した。

「睦月!?」

自室を飛び出し、隣の部屋の戸をノックもなしに開け放つ。薄暗い部屋の電気を点ければ、ベッドの脇で、楓《かえで》にしがみつきながら震えている睦月の姿が目に入った。

「睦月!」
「燈里ねぇ……」

睦月の体を抱きしめ背を撫でながら、燈里は楓に視線を向ける。何があったのかと視線で問いかけられ、楓はどこか困惑げに眉を寄せ口を開いた。

「四つ目の面をつけた子供がいたらしい」
「四つ目?」

燈里も同じように眉を寄せた。
四つ目の仮面で思いつくものはあるが、それが何故睦月の部屋に出るのかが分からない。
室内を見回すが、睦月のいう子供の姿はどこにもない。

「四つ目って……方相氏《ほうそうし》のことかな?」
「特徴からしてそうだろうね。金の四つ目。黒と赤の装束……大晦日は過ぎたけど、節分は数日後だ。関係はあるのかもしれない」

だとしても、何故睦月の元に現れたのかが分からない。そう言いたげな楓に、燈里はさらに困惑を強めた。
腕の中で震えている睦月を見る。彼女には酷だが、もう少し話を聞けば何かが見えてくるかもしれない。
そう思った時だった。

「何をしているんだ?ちびの部屋に集まって」

部屋の入り口で、冬玄《かずとら》は不思議そうに声をかけた。どうやら朝食の時間になっても誰も来ないため様子を見にきたらしい。

「四つ目の面をつけた子供が出たんだってさ」

燈里の元へと歩み寄る冬玄に、楓は簡潔に答えた。

「四つ目?方相氏のことか?」

予想もしていなかったのだろう楓の言葉に冬玄は目を瞬き、次いで訝しげに周囲を見る。何の気配も感じられないことに息を吐き、どこか呆れを滲ませて口を開いた。

「何も感じられないな。そもそも俺がいる限り、この家に何かが入り込めるはずはないだろう」

今は燈里の婚約者ではあるものの、冬玄は今も宮代の守り神だ。その冬玄が何も感じないというのであれば、本当に何もいないのだろう。

「節分も近いことだしな。何かの影響を受けて夢で見た可能性は否定できないが……」

特に問題はない。
そう続けるはずだった冬玄の言葉は、睦月の姿を見て途切れた。
膝をつき、目を合わせる。困惑と僅かな険しさを浮かべ、冬玄は低く呟いた。

「入ってきているな」
「え?」
「夢を介して入り込んできている」

冬玄の言葉に、途端に燈里は不安げに睦月を見つめた。かたかたと震え続ける睦月は、先程から一言も話してはいない。それ程に怖い思いをしたのかもしれないが、睦月の性格から考えれば不自然だった。

「それは悪いモノかい?」

楓の問いに、冬玄は首を振る。睦月の頭に触れ、目を細めた。

「方相氏は鬼を追いやる存在だろう?」

悪いモノであるはずがない。
言外に告げて手を握りしめ、何かを引き摺り出す仕草をした。
びくりと睦月の体が震え、脱力する。

「睦月!?」

反応のない睦月に燈里は慌てるが、穏やかな寝息に安堵の息を吐く。
睦月に何をしたのか分からず冬玄を見るものの、彼は自身の握った手に視線を向けたまま動かない。

「冬玄?」
「悪いモノではないが、良いことが起きるわけでもなさそうだな」

嘆息して、冬玄はゆっくりと握っていた手を開いていく。

「これって……」
「柊の葉……?」

冬玄の手の中に収まっていた、特徴的な棘のような葉。
一枚の柊の葉に、燈里は言いようのない不安が込み上げてくるのを感じた。



20260201 『ブランコ』

2/2/2026, 9:12:57 AM