【お題:もう一つの物語】
学生の頃、
ザ・昭和の遺産
といった風情の
学生寮に入っていた
とにかく古くて
設備も旧式で
あるときには
浴槽タイルの剥がれが
ひどくて
とうとう工事が入る程だった
それでも
なんとか その寮で
学生生活を送れたのは
寮生たちが
とにかく面白くて、
どうしようもないほど
お互いにバカで
気が合ったからだった
私も含めて
そこは 第一志望の
学校ではなかった、
という人が多かったのだが
来てしまったからには
楽しまなきゃ損だと思って
皆 腹のそこから
学校生活、寮生活を
楽しんだ
門限がある寮だったが
真夜中に非常階段を
お笑いコントのように
数珠つなぎに降りて
ラーメンを食べに出掛けたり
タバコの吸いかたを
ベランダで
教えてもらったりしたのも
その学生寮だ
また 今のように
ネットで本や漫画や
音楽を楽しめる時代
ではなかったので
回し読みをして
天人唐草で山岸凉子を知り
トーマの心臓で萩尾望都
を知った
トラウマやイド、エス
といった
私が全く知らなかった言葉も
真夜中、
その昭和遺産の部屋で
オレンジ色の
古びたライトの下で
教えてもらった
行く予定を
していなかった学校、
想像もしていなかった生活
受験勉強を
していた時に
夢見て 思い描いていた生活が
当時の私にとって
一つの物語とするなら
実際に体験し
過ごした生活は
もう一つの物語
といえるかもしれない
例年、事情を抱えて
入学してくる生徒が
少なくないことを
知っていた恩師が
私が卒業をするときにも
声をかけてくださった
ここで過ごした生活は
誰にも奪うことのできない
あなただけのものだよ
そのときは
くすぐったい気持ちで
少し感傷的な言葉のように
聞いていたが
いまになると
本当にそのとおりだと思う
ある講義で 先生は
人は二回死ぬ
肉体の死
そして
その人を知る人が
この世に 誰も
いなくなるときだ
と話された
その先生も鬼籍に入られ
寮で一緒に過ごし
共に先生に
かわいがっていただいた
友人の一人も
早くにいってしまった
けれども
先生も友人も
この世に
自分の本を残しているので
誰かに 彼らの本が
読まれることで
二人の言葉は
読者の心に彩りを添え
読者の物語は
また一枚、一枚と
編まれているのではないか
と想像している
10/30/2023, 7:44:48 AM