ある夜のことであった。利発そうな、けれどもどこか寂しげなところのある少年が、そらにかかるはしごを昇っていった。はしごをすっかり渡りきってしまうと、目の前に白い立派な門が現れた。少年は、あああれが天国の門というものだ、と思った。
門をくぐり抜けると立派な台座があった。そこにはいかにもその台座にふさわしい、ポラリスという星がしっかりと座って少年を出迎えた。ポラリスは、星のめぐりを司る王であった。
「やあ、ようこそ、こんな遠いところまで来てもらって、済まなかったね。」ポラリスは鷹楊に言った。
「いいえ。」
「では私から話そう。いいかね。」
「はい。」
ポラリスは一つ咳払いをして、ようよう話し始めた。
「さて、君はもうしばらくで、私の治める世界で暮らすことになる。ほんとうは君はサウザンクロスに行ってそこから天上に向かうのが筋というものだが、今君をサウザンクロスに送ってやるのはあんまり惜しい。そこで私は君をサウザンクロスへは送らずに新たな星とすることを思いついたが、どうかね、何か引っかかりがあるなら言いたまえ。」
少年は青ざめて、怒っているようにもまた泣いているようにも見える顔でじっと黙っていた。
「私の申し出が気に入らぬなら、それならそれで良いのだ。だが、君をみすみすサウザンクロスへやってしまうのはなんとしても惜しい。そうだ、いっそ君をもとの世界へ戻してしまうのはどうだろう。ねえ君、いい話じゃないか。」
ポラリスが少し急きこんで言うと、少年はにわかに笑顔になったので、ポラリスは
(ああ、やはりこの少年はもといた世界に返してやるのがいいだろう。)
と思いながら少年のようすを見ていた。
「ポラリス様は、天上に上げられるものをもとの世界へ戻すことができるんですか。」少年は胸を躍らせて言った。
「ああできるとも。君が望むことならきっと叶えよう。」
「では、ぼく、一つお願いしたいことがあるんです。」
「なんだね。」
「ぼくのかわりに、ぼくの友達のお父さんを戻してやってください。ぼくはどうなってもかまいません。」
ポラリスはもうあんまり愕いて、しばらくものも言えずしげしげと少年を見ていた。
「いや、いや君、なにを言っている。」ポラリスはやっとこれだけ絞り出すように言った。
「彼のお父さんはポラリス様の治める世界のどこかにいるんでしょう。ぼく知っているんです。」
少年は思いきったというような顔をして、体をかすかにわななかせていた。
「彼はけなげにも、いつかお父さんが帰ってくると信じているんです。彼は今、病気がちのお母さんを助けるためにひどい仕事をいくつもして、学校にはいつも疲れて来ます。ぼくは自分の新しい上着も買わずにいる彼に同情して、お母さんと一緒にぼくの家に来るように言ったことがあったんですが、彼は大真面目な顔をして、それじゃあいずれお父さんが帰ってきたとき、お父さんの家がなくなってしまうじゃあないの、と言うんです。可笑しいでしょう。」
少年はつと言葉を切ってポラリスの方を見た。
「でも、ぼくは彼のことがすきです。彼の思うことは、ぼくだいたい見当がつきます。彼もぼくのことを好いてくれていますが、それ以上にお父さんを好いているんです。お父さんが帰ってくることだけを楽しみに待ち望んでいるんです。今ぼくがしてやれることは、彼にお父さんを還してやることだけです。ぼくがいなくなっても彼は、そりゃあ少しは悲しむでしょうが、それだってお父さんのほんとうを知るよりよっぽどいい。そんなわけで、ぼくはポラリス様にこんなことをお願いしているのです。」
ポラリスは困ってしまった。すでに天上に上げられた者をもとの世界に戻すなどということは、いくらポラリスをもってしても容易なことではなかった。
「もし私が君の望みを叶えたならば、君はそらの孔に呑みこまれ永遠にその存在を滅されることになる。」
ポラリスは、少年をそんなところへやってしまうのはあんまりつらかったが、何度言っても少年のこころはかわらなかったので、ポラリスも最后はとうとう諦めた。
「地上の銀河の祭りの日、君は川へ入った友を助けて再び戻ることはない。君はすぐさま天上の藻屑となり、やがてそらの孔に呑み込まれる。そのかわりに君の友達のお父さんはきっとすぐさまもとの世界へ返そう。いいかね。」
「はい。ありがとうございます。ではぼくはこれで、さよなら。」
少年は清々しそうに笑ってていねいにおじぎをした。
「さよなら。」
少年が行ってしまってからもポラリスはあんまり悲しくて、地上の銀河の祭りの夜にはせめてものはなむけに、友達想いの少年と哀れで幸な彼の友達─すなわちカムパネルラとジョバンニ─を銀河鉄道に乗せ、彼らのために美しい最期の思い出をつくってやった。
(同情)
2/21/2024, 8:43:22 AM