悪役令嬢

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『ないものねだり』

乾いた風に吹かれて落ち葉がパラパラと音をたてる。
街灯が灯りはじめた通りを早足で過ぎ去る青年。

ふと何処からか美味しそうな匂いが
漂ってきて青年の鼻をかすめた。
皮をパリパリに焼いた鶏に
野菜を煮込み塩胡椒で味付けしたスープ
そんな食卓を想像をして腹の虫が鳴った。

この通りにあるレンガ造りの家からくるものだ。
家の窓からは暖かなオレンジ色の光が漏れ出ていた。

背後から蹄の音が近付いてくる。
ブルーム型の箱馬車が家の玄関前でとまり、
中から大柄の男性と子どもたちが降りてきた。

恰幅のいい主人は肩に小さな子どもを乗せて歩き、
それを玄関の階段上から母親らしき女性が
微笑ましそうに見つめている。
「もうすぐ夕飯の支度ができますからね」

その光景に魅入っていた青年は腕に抱えた紙袋から
林檎が一つ零れ落ちた事に気が付かなかった。
大家族の子どもの一人が青年の所に駆け寄ってきて、
足元に落ちた林檎を拾い上げてから青年に差し出す。
「おにいちゃん、おとしたよ」
林檎のように赤く染まった血色の良い顔と
無垢な瞳が青年を見上げた。
「あ、ああ……すまない」

少年は林檎を手渡した後、
父親に呼ばれてすぐさま戻った。
一部始終を見ていた父親は、その大きな手で
少年の頭をわしわしと撫でる。

「……」
悪意が渦巻く環境にいれば、あのような他人を
微塵も疑わない瞳も親切な振る舞いもできない。
あの子どもはきっと、優しい言葉と温かな
触れ合いの中で大切に育てられてきたのだろう。

家族
俺たちのような人か獣か、あるいはどちらでもない
種族には無縁のものだ。
青年は込み上げてきた虚しさをごまかすように
胸を強く握りしめた。

3/26/2024, 4:00:07 PM