このお話は1/24から投稿している連続小説『過ぎ去った未来』の第五話です。
※この物語はフィクションです。登場する人物および団体は、実在のものとは一切関係ありません。
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掌編小説『過ぎ去った未来』第五話
その日、二十歳の坂部真一は、大学の授業をサボって部屋でひとり何もしない時間を過ごしていた。
空虚で無駄な時間の使い方だと分かってはいたが、特別やりたいこともない。であれば、重い腰を上げて簡単なバイトでもして小銭を稼ごうかと思い立ってみるが、結局面倒な気持ちに押し負けて、散らかった部屋の中でゴロゴロしているうちに日が暮れる。
これまでだって何度かバイトというものをしたことがあったが、どれも長続きはせず、数日顔を出したほどでバックレるように辞める日々が続いていた。
このまま何もせず、ただぼうっとして、気づいたら大人になってそれなりにいい暮らしをしていないだろうか。
坂部が虚空を眺めながらそんな妄想に浸っていると、まるでブラウン管テレビのスイッチが切れるときのように、突然視界が真っ暗になった。
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次の瞬間、坂部はネオンの光る夜の繁華街に一人立っていた。
それまでの部屋着はどこへやら。サイズの合わない縒れたスーツに身を包み、視界の下で膨れた腹がワイシャツのボタンを押し出している。全く理解ができなかった。
何か手がかりを探してズボンのポケットを弄ると、アルミケースのなかに『坂部真一』と書かれた名刺を見つけた。聞いたことのない会社名と営業部長という肩書きが、自分の名前の上に乗っかっている。いつの間にかとても長い時間が経過していることをうっすらと察知した。
それを決定づけたのは、ズボンの後ろポケットに入っていたプラスチックの板にガラスが付いたようなカメラだった。
ピロンと不思議な音がして、手元のガラス面がぼんやりと光を宿す。坂部は思わず手を滑らせ、奇妙な板はアスファルトのうえで小さく跳ねた。
坂部は恐る恐る板を拾い上げ、光の出処を覗き込む。そこには封筒を模したイラストの横に、『【重要】明日の会議について』という短い文章が記されている。自然と指が文字をなぞり、画面がするると動き始める。
何がどうなっているのか、坂部には全く理解ができなかったが、何かの雑誌で特集されていた『未来の技術』の記事を思い出した。未来では一人がひとつ、電話とパソコンを一緒にしたようなものを持っていて、世界中のすべてのことをその機械の中で見ることができるようになるのだと。
どうやら本当に時間を超えて、未来に来てしまったらしい。坂部は恐怖と不安を感じながらも、その奥から沸き上がる喜びに笑みを漏らした。
自分がどこに住んでいるのかは分からなかったが、帰巣本能と言うやつなのか、朝日が昇るまでには何とか家にたどり着くことができた。同じような家が立ち並ぶ住宅展示場のような街の中で、これが自分の家だという妙な確信があった。
玄関には鍵がかかっていたが、ポケットの中に入っていた鍵ですんなりと開き、中に入るとなぜか二階の廊下の先に自分の部屋があることが分かった。
その日は布団に倒れ込むように眠り込んでしまった。いつもより柔らかい布団に体を包まれながら、雑誌やドラマなどで見かけて憧れていた理想の家庭像のなかに自分がいるような心地がした。
翌朝、けたたましいメロディと、あなた、という女性の声で目を覚ます。
「昨日は随分と遅くまで飲んでたのね」
目を開けると、そこにはジーンズに身丈より少し大きめに見えるTシャツを来た女性が立っていた。口調は割と穏やかだが、どこかこちらを心配しているような雰囲気が漂った。
「今日は仕事行かなくていいの?」
女性は、坂部が昨晩ベッドに放り投げたままにしていた未来の電話を指差しながら告げる。電話は震えながら、けたたましい音を鳴らしている。画面に表示された『社長』の文字に嫌な予感がする。
坂部が画面に描かれた受話器のマークに触れた途端、画面の向こうから男性の声が響いた。
『大丈夫か、君らしくもない』
少し想像すれば、それが遅刻への戒めであるとすぐに分かった。坂部は心臓の鼓動が早くなるのを感じながら、どう応えてよいやら分からず、とりあえず謝罪を口にした。
「あっ、すいません、ちょっと寝坊しちゃって……」
『どうした、何があった。ひとまずすぐに来てくれ』
矢継ぎ早に飛び出す言葉に追いつけないまま、ちょうど昨晩から着ていたスーツで、そのまま会社へ向かった。
名刺に書かれた住所の地名からなんとなく位置は分かるものの、駅の仕組みや電車の乗り継ぎもよく分からず、坂部は見たこともないような高いビルの並ぶ都会の真ん中でひとり途方に暮れた。
電話が震える。発信元は再び社長からだった。
『何をしてるんだ、まさかまだ家にいるのか?』
「いや、なんていうか、その……道に迷っちゃって」
口から出る言葉には迷いしかないが、そんな不安を電話の声がますます煽る。
『ふざけてるのか、もういい。話は明日だ』
――ああ、面倒くさい。
心の中で思ったはずの言葉は自然と声に漏れていたようだ。
『今、なんと?』
社長の声には動揺すら見えた。坂部は深い溜息をついた。仕方ないだろう、突然こんなところに飛ばされ、北も南も判別のつかないないところで、何をどうしてよいやら分からないんだ。
こいつを持っていたらどこまでも追いかけられる。坂部は怖くなって手元の電話をその場に放り投げて逃げた。
辺りの景色は何一つ見覚えがなかったが、とりあえず目の前の道をひたすら走った。脂肪の乗った体は想像以上に重たかった。腕や足を上げようにも、まるで水の入ったポリタンクを持ち上げるような重労働に感じた。
立ち止まった途端に汗が拭き出してくる。ふと見慣れた牛丼チェーンの名前が目に入り、腹が鳴った。
考えたら朝から何も食べてない。
空腹に耐えられず、店に入る。何やら見慣れない薄っぺらいテレビのようなものに牛丼の画像が映っていて、画面が言うとおりに触っていたら店員が牛丼を持ってきた。
牛丼の大盛りに、サラダとみそ汁のセットをつけて、唐揚げもひとつ追加した。はて、大盛りとはこんな量だったか、もっとこんもり肉が盛られていた気もするが、と思いながら、いつものように腹にかき込んでいく。
しかし、半分ほど食べたところで胃が苦しくなってくる。腹はこんなにもデカいのに、どうしてこんなにも入らないものか。そんな愚痴と一緒に無理やり胃に詰め込んでいく。
会計の仕方も坂部が知っている方法とは違っていたが、店員が笑顔で教えてくれて何とかなった。それならあんたが最初からやってくれとも思ったが、口には出さなかった。
それよりも、あの量で千円札一枚では足りないことに驚いた。この世界は何かがおかしい。
――さて、これからどうしたものか。
坂部はどこを目指すでもなく、ただぶらぶらと街を歩いた。歩きながら、SF雑誌に描かれていた『未来予想図』のイラストの方が遥かに未来的だ、と感じた。空飛ぶ車もなければ、ロボットも歩いていない。建物は相変わらずコンクリートで、人間は相変わらず人間の見た目をしている。
パチンコ屋の壁を流れる文字と煌びやかな電飾に、坂部は思わず足を止めた。
自動ドアが開いた瞬間、激しい音楽と銀玉がジャラジャラ流れる音が混ざり合いながら耳を劈く。坂部にはそれが心地よかった。欲望を刺激する音であった。
操られるようにして台の前に腰掛け、萬札を差し込む。途端に高精細なアニメが狂ったように踊り、台が激しく震動する。
何が『当たり』かも判別できない。だが、網膜を焼く連続的な閃光を浴びるたび、五十歳の理性は二十歳の欲望に塗りつぶされていく。気づけば萬札は電子の海へ溶け、自堕落な本能だけが膨らんでいく。当たるはずのない下手な鉄砲玉は、虚しく穴の中へと消えていった。
それはまるで、この先、坂部の身に待ち受ける人生の厳しさを象徴しているようだった。失われた三十年が想像以上の重さを持ってのしかかることになろうとは、この時の坂部はまだ知る由もない。
『過ぎ去った未来』第六話に続く
1/28/2026, 10:12:25 AM