sairo

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「主人《マスター》、手を」

青年に促され、首を傾げながらも少年は素直に手を差し出した。
恭しくその手を取り、青年は薬指に銀製の指輪を嵌める。

「――蛇?」

指輪の嵌まる指を目の前に翳し、目を細める。一匹の蛇が己の尾を喰んでいる。蛇の煌めく紅い目に呪術《まじない》の気配を感じ取り、少年は微かに苦笑する。

「蛇。故郷の永遠、不死の象徴。主人を、守る」
「過保護だね」

片言で語る青年の、彫りの深い顔立ちを指輪越しに眺めながら、それだけではない微かな呪術の痕跡に肩を竦める。
遠い異国の、呪術師《シャーマン》の血を濃く継ぐ青年が施した呪術。目を凝らしても、それが何であるのか理解出来ず、少年は諦めて手を下ろした。

「主人」

目の前の青年より、僅かに低い声に視線を向ける。部屋に入って来たのは青年と同じ顔をしたもう一人の青年。唯一異なるのは、目の前の青年は右の耳に銀のリングピアスを嵌めているのに対し、入ってきた彼は左の耳にピアスをしている事だけだ。
ピアス以外は見分けがつかない二人を見ながら、双子というのは本当に不思議だと、少年はぼんやりと思う。元々が一つの存在が二つに分かたれたような、誰よりも近しい存在。だからこそ彼らは怖れられ忌避されて、この国に辿りついた。彼らとの出会いを思い返し、少年は密かに嘆息する。

「トキ。出来たか」

左にピアスをつけた双子の兄が弟の言葉に頷きつつ、少年の前に歩み寄る。差し出されたそれを見て、少年はあぁ、と苦笑とも嘆きとも取れる声を漏らした。

「主人。受け取ってくれ。守護のまじないをかけてある」
「――それだけじゃないだろう」

少年の小さな呟きに、双子は僅かに表情を綻ばせた。

「主人、守る、見つける。どんなに離れても。必ず」
「どこへいても、主人が分かるように。身につけてくれさえすれば、一度だけリングをつけた主人の下へ、リングを通じて行けるように。そういうまじないだ」

差し出されたそれを受け取り、少年は双子の説明を聞きながら手の中で弄ぶ。双子の弟にもらった指輪と同じ蛇を模った、けれども少年の指には不釣り合いなほど小さな指輪。それが意味する事は、一つだけだ。
少年の人形を依代としている、本当の双子の主人。今は隠れ逃げるために封じてある、本来の体に身につけろと言っている。それはつまり、この長い鬼事の終わりが近い事を示していた。

「結局、おにいちゃんが諦めてくれる前に、見つかっちゃうのか」

誰にでもなく呟いて、手の中の指輪を放る。光を反射し煌めくそれは、小さな放物線を描いて、少年の影の中に吸い込まれそのまま消えていった。
少年の瞳の奥。白髪の小さな少女の姿が揺らいで見えて、双子はそれぞれ少年の手を取った。

「ここにいる主人か、それとも隠されている主人かは見えない」
「でも結果、一緒。その先、部屋の中。出られない」
「二人の占いは外れないもんな」

呪術師の占い予言は外れない。どんなに足掻いた所で、最後の結末は同じだという事を、少年は知っている。
小さく息を吐いて、双子を見る。眉を下げ、微笑んで。少年は無駄だと知りながらも、問いかけた。

「いつまでも、私に囚われる必要なんてないよ。もう二人だけで生きていけるだろう?」

どうか、と少年の密かな願いを、けれども双子は首を振り否定する。

「主人に掬われた命だ。ならば主人と共に在るのが望ましい」
「一緒、いたい。わがまま、分かっている。でも…逢いたい」
「その先が、二度と出られない檻の中でも?」

双子は笑う。その笑みに、少年はそれ以上何も言えずに俯いた。


「――あの時、約束なんてしないで、さっさと出て行ってくれればよかったのに。十にも満たない子供が、一人残されていく意味を分かってたくせに。憐みや義務感だけで約束するなんて、最低だ」

低く呟く少年の言葉に、双子は何も言わない。
少年は双子に語る事はなかったが、少年が何から逃げている事も約束の内容も、双子はすべて知っていた。

――十年後、迎えに来る。どんなに離れても、時が過ぎても忘れたりしない。必ず迎えに行くから、そうしたら一緒に暮らそう。

一方的な約束。それは生き残れるはずがないと理解した上での、情けだった。
少年が――少年の依代を得る前の、かつての少女が八歳を迎える時に、少女は家族に捨てられた。
術師の家系に生まれた少女は、優秀な兄と比べ明らかに劣っていた。式の一つも打てず、術の一つも覚えられず。
少女を恥と思った家族は修行と称し山奥の小屋に少女を一人残し、体よく葬ろうと考えたのだ。

「ちゃんと、生き残れなかったって見立ててみたんだけどなぁ。出来損ないの見立ては、すぐに分かるものなのかなぁ」

呟く少年の背を双子の兄は撫で、弟は目を覆う。されるがままの少年が、しばらくして力を失ったように崩れ落ちるのを抱き留める。

「主人のせい、違う」
「十年とは、人を変えるのに十分な時間だ」

寝入った体を抱き上げて、双子の兄は寝室へと向かう。
起こさぬよう、そっとベッドに寝かせ。遅れて入ってきた弟が、手にした煙の立ち上る香炉をサイドテーブルに置くのを見ながら、兄はカーテンを静かに閉めた。

双子は知っている。主人のためと大義名分を掲げ、過去を未来を視てきた。その過程で、約束をした主人の兄の変化にも気づいていた。
いくつもの出会いの中で、利用価値や道具としてでない、普通の兄妹を知る切っ掛けが幾度もあったのだ。その差を羨み、妹という存在を手放す事が惜しくなったのだろう。
人とは傲慢な生き物だ。双子を売り、奴隷の如く扱った末に狩りの標的にしたのは、まぎれもなく人だった。だが同時に、双子の命を掬い上げ生きる術を与えたのもまた人であった。

あの苦痛と恐怖に彩られた夜の事を、双子は今でも忘れる事はない。
戯れに追い回され、互いに庇い合い、這いずりながら逃げた夜。
虚ろに光を失っていく瞳。細く途切れていく呼吸。下卑た男らの嗤う声。
それが悲鳴に成り代わるのを。月を反射し煌めく白銀の髪がなびくのを。半身に寄り添って、ただぼんやりと見ていた。
いつの間にか体の痛みは消え。怪我など何一つなく。
倒れ伏す男らを背後に手を差し伸べる少女は、双子よりも余程小さく、その手は枯れ枝の如く細かった。

「トキ」
「ロウ」

互いに目配せし、頷き合う。
今はどこか遠く、隠れ眠り続けている双子の主人を思い、依代である少年の手をそれぞれ取った。
目を閉じ、祈る。どんなに遠く離れていても想い描ける故郷の、見えざるモノの声を聴き、願う。
予知した結末の、その先を変えるために。
結末は変わらない。双子の主人は主人の兄の手によって部屋の中に閉ざされる。
だがそれは、本物の少女か依代の少年か、はっきりとは見えていない事もまた事実だった。

「「――――」」

歌うように、一つの言葉を口にする。
双子の故郷で『希望』という意味を持つその言葉。
それは捨て置かれた際に名を失った双子の主人のための、双子が定めた新しい名だった。
この国では、言葉は強い呪いであり、名は縛るものだという。在り方を定め、何よりも深い鎖《つながり》になる。双子の故郷と縁のない主人に故郷の言葉で名付ければ、それは確かな導となるだろう。

ざわり、と空気が振動する。風もないのに、香炉から立ち上る煙が大きく揺らぎ。

中身を失った少年の依代だけを残し、双子の姿は掻き消えた。



20250426 『どんなに離れていても』

4/27/2025, 5:27:56 AM