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「香水」

百貨店の前を通り過ぎるとき、香水の瓶が目に入る。複雑にカットされた透明なガラス瓶に薄い桃色の液体。

制服に着替え仕事に取り掛かる。オフィスビルの清掃の仕事に香水は必要ない。

帰り道、別の百貨店のショウウインドウに四角いシャープな瓶に青い液体。扁平な楕円の瓶に琥珀の液体。

今日に限って香水の瓶が目につく。足早に通り過ぎて地下鉄に乗り込む。一度乗り換えをすると昼間だから最寄り駅までは座れる。清掃の仕事のいいところは、電車の混雑から逃れられること。朝は早い。早い分、終わりも早い。

介護が必要になって実家に帰って驚いた。よくこんなに物を貯め込んだものだ。母が元気なうちは、これはいらない、これは取っておいて、など少しずつものを減らしていったが、残しておくものが多すぎる。

結局、母が亡くなってからでないと捨てられなかった。私にとってはガラクタでも、母にとっては大切なものなのだろう。母の意思を無視することはできなかった。

父が中学2年生の時に亡くなって、それからは再婚もせずに一人で育ててくれた。父と暮らした家を出て、この団地に落ち着いた。3DKの母の城。

業者の手も借りてすっきりとした部屋は一人では広すぎる。そうだね、広すぎる。母が物を貯め込んだ理由がわかる気がする。

仏壇に母の遺品の香水の瓶を置いた。遺品整理中に鏡台の奥から出てきたもの。未開封のそれは誰かからのプレゼントだったのだろうか。箱の黄ばみから相当古いものだとわかる。父から?記憶の父を呼び戻しても香水と結びつかない。

香水とは縁のない私でも知っている、シャネルの5番。なぜ使わなかった?見えないように隠したの?手の中に収まる小さな瓶。私の知らない母を知っているんだね。

8/31/2024, 9:15:54 AM