薄墨

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とうもろこしを食べるのには、元気がいる。
あの、隙間なくびっしりと並んだつやつやの、ニスでも塗ったみたいなピカピカの黄色い実が密集した塊からコーンを齧りとる最初の一口は、なんだか、作り物のおもちゃを齧るような、妙な緊張感がある。

だから、とうもろこしを齧るには、元気がいるのだ。

7月になった途端に鳴かなくてもいいのに、どこからか聞こえる蝉の声に、そう悪態をつきたくなる。
強すぎる日差しが、肌やコンクリートを焼くヒリヒリとした匂いがする。

私の故郷の夏の匂いとは全然違う、街の夏の匂い。

私の故郷で、夏の鮮やかなもの、といえば、宝石を散りばめたように輝く、あの魚だった。
あの橙の体に黒の斑点を散りばめた小さな魚の鱗は、きらきらと密集して、光の当て方を変えると、なだらかにうねって、いろいろな色に輝いて見せた。
角度を変えると紫色になったあの魚の色は、今でもくっきり思い出せる。
生きているって感じの、鮮やかさだった。

遠い、南にあるジャングルだった私の故郷の夏の匂いは、もっと湿っぽくて、むしむしと匂った。
太陽の匂いよりも、濃い緑色の、生き生き茂った葉の匂いがした。
蝉は、他の鳥や獣に声をかき消されながら、しゃわしゃわと鳴いた。
その匂いと蝉の声が、川上からほのかにし始めたら、家族の中でもうすぐ13になろうとする、あの時の私たちのような子どもたちは、水中弓を引く練習を始めるのだった。

あの魚を獲るための練習を始めるのだった。
あの魚を獲ることは、あのジャングル地域に住む子どもたちの憧れで、私の憧れでもあった。
私はおもちゃでいつもあの魚を作った。
小さいのに、トリケラトプスを思わせるように立派に発達した背鰭を、どうにかして再現しようとした。
おもちゃで作り上げたあの魚を眺めながら、あの魚が泳ぐところを、何度も何度も夢想した。

私の憧れが目の前で崩れ去った時の父の言葉は、「もう時代が変わった」だった。
父は、より良い暮らし、より良い仕事、そして、より子どもたちを将来性のある仕事に就かせることを求めて、街へ行く決意をしたのだった。

私の常識は変わってしまった。
釣りよりも弓を引くことよりも、勉強の方が良くて楽しいことだとされるようになってしまった。
私は勉強が嫌いだった。
数字を書いたり、文字を読んだりするより、魚や虫を獲って、水に足を浸す方が好きだった。

けれど大人たちは揃っていった。
「第一産業よりも第二産業、第二産業よりも第三産業の方が儲かるのだ」
「自然と戯れているより、パソコンや工場や、つまり、人の生み出したものと戯れている方が、豊かで幸せな人生になる」
「ここでお金を稼ぐだけ稼げば、じきに、好きな時に好きなだけ自然と遊べるようになるさ」

そうして私は、かつての私の故郷で生きていく術を、牙を失った。
私は大人になった今も街にいて、作り物みたいなとうもろこしに元気を振り絞って齧り付き、人工物と太陽ばかりの街中にじっとりと立ち昇る陽炎に包まれて、街で人の作ったものの数字を捏ねくり回して生きている。

夏の匂いがした。
コンクリートと太陽ばかりの、渇いた夏の匂いだった。

7/1/2025, 10:53:27 PM