紅月 琥珀

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 甘く甘く口一杯に広がる味。
 一口含めばトロリと消えて、私を惑わす魅惑の果実。
 刺激的なその甘さに酔いしれて⋯⋯何度も口に含み続けた。
 いつしかそれは脳内を侵(おか)しはじめて――――――私を奈落の底へと誘った。

 甘く、甘く。どこまでも広がる甘さが好き。
 私の脳が痺れるほどの、深みのある甘さが⋯⋯私は大好きだった。
 咀嚼する度に広がる味わいと誘惑。なくなった後も残る余韻が、私を次へと駆り立てる。
 ダメだとわかっているのに止められない。
 それは欲望という名の毒で、一度飲んでしまえば歯止めが効かなくなる。
 魅惑の果実とはこういうものなのだろうか? と、下らない事を考えながら……今日も私は落ちていく。
 ソコには暗く淀んだ闇が口を開けて『早く落ちろ』と嘲り笑っていた。

 ◇ ◇ ◇

 酷く目覚めの悪い朝だった。不快感に顔を歪ませながら私はベッドから降りる。
 ズキリと痛む腰と怠さの取れない体。まだ残っている彼の感覚に溜め息を吐きながらお風呂へ向かった。
 シャワーを浴びている間も考えているのは彼の事。本当は駄目だとわかっているのに⋯⋯何故かやめられない。
 それはまるで甘いモノを食べている様な、そんな中毒性があった。

 彼は妻子持ちの上司。誘ってきたのは彼の方で、最初こそ断っていたけれど⋯⋯その情熱と、会社の飲み会で泥酔してしまった私は過ちを犯してしまう。
 そこからやめなきゃと思いつつも、ずるずると引き伸ばされて今に至る。
 こんな事してても幸せになんかなれないのに⋯⋯わかっているはずなのに、一度あの背徳感と快楽を知ってしまうと―――どうしても断ち切る事が出来なかった。
 そうして今日も誰にも知られない様に仮面を被り、出社してただのOLとして働く。彼との関係なんて一切匂わせないように、気付かれないように厚い仮面を被り続けて迎えたアフターファイブ。
 やはりと言うべきか⋯⋯彼から呼び出され、会社と私達の家からかなり遠いホテルを指定される。
 前もって夕食を済ませてそこへと向かう道中、今日こそは必ず終わらせる! と意気込みながら目的地へ向かう。彼と合流して直ぐにホテルの一室に連れ込まれ、話を切り出そうとしたが口を塞がれて出来なかった。
 そこからはもう、いつも通り。
 彼のペースに流されて抗えない甘さに決意が失墜し、なすがままに蹂躙される。
 どこまでイっても足りなくて、もっと欲しくて満たされたくて。何度もその甘さに手を伸ばす。
 そうして彼は満足すると、妻子の待つ家に帰っていく。
 決して愛されている訳じゃないと分かっている。ただの欲の捌け口にされている事も。

 それでもやめられないのは――――――この甘美な快楽(はちみつ)が私の脳(あたま)を浸(おか)し、罪悪感(じょうしき)すら背徳感(はちみつづけ)にして私をおかしくするからだ。
 まるで薬のようなそれは、自分の意思では抜け出せなくて。
 どうする事も出来ずに、だだ堕ちていく。

 可哀想な奥さんと子供達。
 最低な彼と同等の私。
 離れたいのに出来なくて、止めたいのにやめられない。
 嗚呼、誰かこの快楽(はちみつ)を食べて⋯⋯私の中から消し去って欲しい。
 そんな馬鹿みたいな事を考えている己を嘲笑しながら、今日も彼の痕跡を体から消そうとシャワー室で奔走するのだった。

3/9/2025, 3:02:47 PM