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 俺の父親は、母親に何かと花をプレゼントする。
 母の日、母親の誕生日、結婚記念日、クリスマス、バレンティンデーとホワイトデー。それ以外にも「可愛い花があったから」って。
 母親は嬉しそうに受け取る。花瓶を用意して、玄関のシューズボックスの上に飾る。毎日水を入れ替え、栄養剤を溶かし、茎の先端を切り、バランスよく花瓶に刺していた。
 まだ小学生の頃、父親に聞いた。何で花をプレゼントするのって。父親は自信満々にこう言った。
「母さんはね、花が好きなんだよ。父さんはちょっと鼻がムズムズするから苦手なんだけど、母さんが喜ぶからつい買ってきちゃうんだよね」
 大人になったら好きな子に贈るといい、すごく喜ぶからと続けて話してくれた。

 大人ではないけど、大学生になって初めて彼女ができた。俺はバイトしてお金を貯めて、彼女の誕生日にサプライズで花をプレゼントしようとした。初めて立ち寄った花屋で、値段を見て驚愕した。一輪でも安くて三百円以上する。人気の高い花なのか、中には五百円以上の値段がついたものもあった。それらが集まった花束って一体いくらになるのだろう。
 恐れ慄いた俺は花を買うのは断念して、正直に話して欲しいものを聞いた。
「私ズボラだからお花じゃなくてよかったよ。枯れちゃったら悲しいし」
 笑って話す彼女は、ネットの口コミで話題のコスメをリクエストしてくれた。まだそっちの方が安く感じたし、日常で気軽に使える方が嬉しいんだなと思った。

 彼女の誕生日から数日後、母親に聞いた。父親から花を貰って嬉しいか、と。母親は意外にも苦笑いしてこう言った。
「虫が湧くから本当は飾りたくないんだけど。お父さんがこの花を選ぶときだけは、お母さんのことだけ考えてくれてる証拠だから。なんだかんだ受け取っちゃうのよね。お父さん、花粉症ひどくて花の花粉すら苦しい日があるのにね」
 私もどちらかというとコスメとかリラクゼーション系とか、美味しいデザートとかちょっと高級なレストランとかの方が嬉しいかな、と。
 これは重大な秘密を知ってしまったと思った。そして、そのことを父親に告げる日はないだろうと思っていた。

 あれから数十年経った今も、父親は花を贈る。白や紫、黄色の綺麗な菊の花を、母親の墓に供える。
「母さんさ、本当は虫が湧くから苦手だったんだって」
 母親の眠る墓に向かって膝をつき、手を合わせる父親に声をかけた。こちらに向ける小さくなった背中に、居ても立っても居られなくなってしまったからだ。
 母親は3年前、癌を患い亡くなってしまった。俺は社会人になって家を出て、色んな出会いと別れを繰り返し、職場で出会った人と結婚して子供も授かった。今、俺の隣に並んでいる妻と、高校生の娘と中学生の息子の四人で暮らしている。
 父親は今も一人で実家のマンションに住んでいる。母親が生きていた頃と同じように、母の日と、母親の誕生日と、結婚記念日と、クリスマスと、バレンタインデーとホワイトデーと、母親の命日と、可愛い花を見かけた日に買っては玄関に飾っている。デイサービスの方から聞いた話だと、手入れも父親が毎日やっているそうだ。
 手を下ろした父親が、墓をじっと見つめていた。
「母さんはね、父さんが花が苦手だから苦手って言っただけさ。母さんの実家には、母さんが立派に育てた花壇があったんだから」
 母親の実家には何度か足を運んだことがある。塀の外からも見える、色とりどりの花が咲いた花壇は、てっきり祖母の趣味がガーデニングなんだと思っていた。
「マンション住まいだと庭がなくてガーデニングの範囲が限られるからね、せめて切り花だけでも飾って楽しんでほしかったんだ。だから母さんはね、花をプレゼントすると心から喜んでくれていたはずさ」
 父親は桶を手に取って立ち上がり、こちらを振り返った。母親に関しての話題でこうも楽しそうに笑う姿は、久々に見た気がした。



『大好きな君に』

3/5/2024, 9:57:21 AM