ほーしゃん

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「こっちにおいで」

「あ……はい。ありがとうございます」

危ないね、と彼が私の肩を引き寄せてスピードを出しすぎていた車から守ってくれる。
こういう思わせぶりなところ、私に気が無いと分かっていてもときめいてしまう。

__3月21日、木曜日。今日はずっと前から片思いをしている相手、倫太郎さんとお出かけをしていた。

私たちがお出かけをするきっかけとなったのは共通の友人の誕生日プレゼントを買いに行くためだ。

倫太郎さんは近所の喫茶店で働いている。喫茶店は落ち着いた雰囲気が心地よく、生活の合間に休息をするのに適しており、通い始めてから常連になるのは早かった。

そこで働く倫太郎さんの事が気になり始めたのは、彼がつまずいて私にコーヒーをぶちまけたとき。
おそらく30代前半、漆黒の髪に艶気を含んだ低い声。普段店で着ている黒いシャツも相まって色気のある紳士という印象だったが、やってしまったと青ざめる彼の外見と中身のギャップに惹かれて、だんだん彼から目が離せなくなっていった。

きっとこれが恋なんだろう。
いつの間にか喫茶店に通う理由が単なる休息のためではなく、倫太郎さんに会うためになっていった。

倫太郎さんは店の外でどんな服を着るの?
倫太郎さんはなんのテレビ番組が好きなの?
倫太郎さんはどんな音楽を聴くの?

もっと知りたい。もっと話したい。私の恋心は店員と客の関係では満足できなくなっていた。


__そんな時、転機が訪れた。

男友達に倫太郎さんに片思いしている事を話した際、1度見てみたいと言うので、喫茶店に連れて行ったときがあった。
2人が顔を合わせた瞬間、互いに一気に喋り出すものだから話を聞けば旧知の仲だと言う。
男友達はまさか倫太郎さんがこの喫茶店で働いているとは考えもせず、同じ名前なのもただの偶然だと思っていたようだ。

男友達と談笑する倫太郎さんはとても楽しそうで、ああ、仲がいい人の前ではそんな顔をするのかと、 大人げもなくやきもちを焼いた。
私は倫太郎さんにとってただの客でしかない。それは分かっているが、嫌でも比較してしまう。

コーヒーを飲みながら2人の話に耳を傾けていると、恋愛の話になったようだ。


「そういや、倫太郎さんは今付き合ってる人とかいるんスか?」


心臓が飛び跳ねる。私がずっと聞けずにいた事を男友達は軽々と聞いた。指先が急速に冷えていく。


「俺?今はいないよ」


__緊張の一瞬から解放され、ホッと胸を撫で下ろす。
いないんだ、倫太郎さん……
自分にもチャンスがあるという考えがふと頭をかすめる。


「どんな人がタイプなんスか?」


安心したのも束の間、男友達の爆弾発言によりまた緊張で指が冷える。


「うーん……そういうのは特にないかな?ごめんね。期待に添えなくて」

「えーなんスかそれ!もっといろいろあるっしょ!?例えばショートヘアの子が好きとか!」

「見た目のタイプは特にないんだけど…でも、やっぱり一緒にいて安心できる人は良いよね」


……なんというか、当たり障りのない返事ばかりが返ってきて拍子抜けだ。いや、安心はしたが。

それよりもコイツ!この男!!ほんとバカ!!いきなり突っ込みすぎでしょ!!?!倫太郎さんに恋人がいないって知れたのはありがたいけど!!


「そーいや、お前は?」

「……は?へ?わたし!?」

「そうだよ」とため息をついて肩をすくめる男友達は、動揺しすぎだろ、と目で語りかけてくる。

「わ、わたしは」

なんて答えるのが正解なんだろう?さっきの倫太郎さんみたいに当たり障りの無い感じでいくのが無難?

__いや、分かっている。今、この場で男友達が私に質問をしたのは、私が倫太郎さんに恋をしていると知っているからだ。いつまでも消極的でいるわけにはいかない。そんな私にチャンスは降り立たない。

「……私は、黒髪で、低い声の、年上の…男の人が好きです」

好きなタイプにしては具体的すぎる気がしてきた。自分でもかなり勇気を振り絞った方だが、いっそのことあなたみたいな人ですと告白した方が良かったかもしれない。

「ふーん……なんか、倫太郎さんっぽくないスか?」

「へ!?」またもやこの男の爆弾発言に激しく動揺する。

「ははは、俺?そうだったら嬉しいなあ。でももうおじさんだし……他にもっと素敵な人がいるよ」

違う。あなただから。倫太郎さんだから良いのに。他の人じゃ意味がないのに。


__その後は私の用事があったので解散になった。男友達にしつこく質問しすぎだと怒ると「恋はあんぐらい貪欲じゃねーと進展しない」と逆にこっちが諭されてしまった。


特に倫太郎さんと進展するでもなく、ただひたすら喫茶店に通い続けていたある日のこと__

「ちょっといいかな、夢花ちゃん」

ドキッと心臓が跳ねる。名前を呼ばれた。

なんですかと内容を聞いてみれば、あの男友達の誕生日プレゼントを一緒に選んでくれないかとの事だった。そういえばもうすぐだった。

話は進み1週間後にショッピングモールで倫太郎さんと買い物をする事になった。
そう。倫太郎さんと……倫太郎さんと!?!?
これってもしかしてデデデデート!?!?
ふ、服……!髪は!?メイクは!?どうしよう!!!

1週間悩みに悩み続け、結局友人と遊びに行った時に1番高評価だった黒のワンピースにすることした。髪もメイクもおそらく人生で1番気合いを入れた。

これなら倫太郎さんも少しは意識してくれるかな……と考えていたのも束の間。

倫太郎さんはその見た目に劣らず中身まで紳士的で、車からそっと守ってくれたり、扉を開けて先に通してくれたり、座る時に椅子を引いてくれたり……とにかく行動の全てがレディーファーストというか、デート中ずっとときめきが止まらず、意識をしていたのはこっちの方だった。

__時刻は午後5時半。目的のプレゼントを買い終え、もうそろそろ解散というところだった。

まだもう少し、いや、少しといわずにずっとこのデートを続けていたい。

「夢花ちゃん。今日はありがとう」

夢花。私の名前。可愛すぎるというか、名前負けしてる感じがしてあまり気に入ってはなかった。
だけど倫太郎さんが呼ぶ時は特別。その低い声で、私の大好きな声で呼んでくれるなら。


「じゃあ、今日はこれでお別れかな?」


__タイムリミットが迫る。
別れたくない。行かないでほしい。もっとそばにいて!


「また喫茶店でね、夢花ちゃん」


「待って、倫太郎さん!」

倫太郎さんの腕を掴んだ。
恋は貪欲じゃないと進展しない。男友達の教訓が脳裏をよぎる。

「なに?夢花ちゃん」倫太郎さんは優しい声で微笑みかける。



どうかこの夢が醒める前に。



「私、倫太郎さんのことが好き」



倫太郎さんは驚いたあと、こぼれるような笑顔で口を開いた。


「女の子のほうから言わせちゃったなあ」


その声は春の木漏れ日のように優しかった。



『夢が醒める前に』


完全に長くなりすぎました。

3/21/2024, 12:34:46 AM