薄墨

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見られた。
そんな感じがした。

窓もカーテンも閉めた、薄暗い部屋で。
私は、今まで書いていたノートを閉じて、回していたビデオカメラの電源を落とす。
撮影は一旦中止だ。

自作のショートフィルムの締切は今週末。何としてでも完成させなくてはならない。
ならない、のに。

「世界が…終わる…」
耳の外、耳の裏、背後で、そんな茫然とした声を聞いた。
まただ。
ヤツの邪魔だ。
ヤツとの付き合いはもう3年になる。
決して悪いヤツではない。でもヤツはいつも私の邪魔をする。

ヤツは勝手にノートをしまい、テーブルを開け、キッチンからショットとウイスキーを持ってくる。
ビデオカメラの角度を合わせ、電源を入れ、録画が開始される。

ヤツは勝手にショットに酒を注ぐ。
自作の警告映像を延々と流しているテレビとスマホをぼんやり見つめ、やがてショットを手に取り、一気に飲み干す。
喉が熱い。
アルコールの熱が、喉を浸していく。

畜生。上手い。
急に世界の滅亡なんて言われたら、彼ならどうするか。
私は、今までの努力を、後世に残すために足掻くと解釈した。
でも違う。彼は、本当に今に賭けていて、未来に期待していた。そういう役だった。
…だから、茫然と、燃え尽きる反応の方が頷ける。私の解釈の通りになるにしても、それはある程度折り合いがついてからのはず。それまでにいくら必要なエピソードがあるだろうか。

畜生。甘やかしやがって。
「優しくしないでよ」
私はヤツに怒鳴る。

ヤツには聞こえたはずだ。
でも歪んで聞こえてるに違いない。

本当は分かってる。私の体に住む人格、“ヤツ”の方がこの演技に最適だということは。

だって、ヤツは彼だから。
ヤツは毎回毎回、私の演じる役の人格になってくれるのだから。

作品の解釈も演技も下手すぎる私が生み出した、解釈も演技も得意な人格。それが“ヤツ”
ヤツは必ず役を掴み、役を降ろす。
まるでその役が生きているかのように演じて見せる。
私の脚本を現実に作り出す。

ヤツのことは、誰も知らない。
脚本と演技の二刀流ができる、期待の新星。
必ず1人で作品を完成させる、孤高の天才。

そう呼ばれている私。
その私がしているのは脚本だけで、演技はヤツがやっているということ。
私は、他の人に自分の脚本を読ませたくないという我儘だけでそういうスタンスをとらざるを得ないこと。
そして、それだけ助けてくれている“ヤツ”を、私が疎ましいと思っていること。
全部、私とヤツとの、二人だけの秘密だ。

どこからか持ってきたラムネを、ウイスキーで飲み下す。
そして、ゆっくりカーペットに寝そべり、目を閉じる。
……身体が、私に帰ってくる。

喉が熱い。
頭が痛い。
私はお酒が苦手なんだ。

フラフラと立ち上がる。
何とかカメラの録画を切る。
胸の奥から熱いものが込み上げる。
私は急いで、手洗いに走った。

5/3/2024, 2:08:00 PM