シシー

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「ねえ」

 後ろから声をかけられて振り返った。いや、振り返ろうとした。

 ガクンッと微かな衝撃とともに、身体が傾き視界が揺れた。宙に浮いたかのような感覚は何かに躓いて転びそうになったときとよく似ている。たった一瞬の感覚を他人事のように味わいながら、バランスをとろうと無意識に身体を捻りつつ足を引いたのだけはわかった。
 踵から思いきり床を踏んだはずの足元からは鈍い音がして、背筋がゾワゾワするような感触に思わず目を見開いた。身体を捻った反動で振り抜いた腕が何かを視界の外へ吹き飛ばすのもみえてしまってもうだめだった。

 自分でもびっくりするくらい大きな悲鳴をあげた。

 結論からいうと、彼は私を驚かそうとして失敗した。
後ろから声をかけて私が振り向くタイミングで足技をかけて転ばせようとしたらしい。もちろん受け止めるまでを想定して他の人と練習までしていたのだとか。
だが、私は転ぶことなく体勢を整えてしまった。それも背後で受け止める準備をしていた彼の足を思いきり踏んづけた挙げ句、その整った顔面に肘鉄をいれるというおまけ付きで。
 彼は左足と顔面を腫れ上がらせていて、もうどちらが悪者かわからないくらい酷い状況となった。呆然としたままの彼と彼の兄弟たちに謝られながら私も謝罪し続けている。こんなことなら素直に転んでおけばよかった。

 土下座をしつつ彼の様子を覗き見ていた。呆けているのにどこか悔しそうな笑いをこらえているような、ちぐはぐな表情をしている。以前は能面のような薄い笑みを浮かべているだけだったのに、こんなにも人間味のある表情もできるのかとなんたか嬉しくなってしまった。
 今回は結果こそ最悪だったけれど、いい収穫もあった。
変わらないものなどないのだ。人形のように決まったことしかしなかった彼に悪戯心が芽生えたんだ。
なんだかそれだけでほっこりしてしまう。彼の兄弟が必要以上に彼を構う理由がわかってしまった。

「ねえ、今度はもっと上手くやってよね」


           【題:変わらないものはない】

12/26/2023, 3:05:36 PM