マトリカリア

Open App

 ――おまたせ。

 そう言ってお座敷に入ってきたあの子にたちまち目を奪われた。
 ぼたん色の振袖に鮮やかな萌葱の帯を締め、つま先を揃えてしずしずと歩く姿は、いつもよりずっとお姉さんだ。
 大ぶりの菊の花に鞠、組紐、蝶々。雪輪にもあでやかな御所車があしらわれた豪華な柄。晴れた日でもどこかうす暗い日本家屋で、そこだけパッと花が咲いたようだった。

 ――きれい!

 息をはずませて褒めると、あの子はにっこり笑ってくるんと回った。
 袖が風を含んでふわりと舞う。刺繍の金糸がきらきら光をまいて、思わずため息がこぼれた。

 ――ねえ、写真撮らせて。いいでしょ?

 そうねだったとたん、あの子は眉を曇らせた。わたしの手を取り障子の外へ導く。

 ――だめだよ。このあたしはいまだけ。いまだけなんだから。忘れたの?

 そして世界が閉ざされる。わたしはやっと、自分が約束を破ってしまったことに気づいた。
 中庭の隅で見頃を過ぎたぼたんが雨に打たれていた。



(刹那)

4/29/2024, 9:59:19 AM