俺は泣いたことがなかった。
でも、もう顔が歪んで涙が溢れるのを止められない。
落ちた涙が土に滲む。
「なあなあ、お前の元カノ別れてからヤバいらしいぞ。」
風の噂で、別れた彼女のことを聞いた。
付き合っていた時から、どこか世間から距離を取っているような異質な雰囲気はあった。
彼女は、我儘で、コロコロ表情が変わる子どもみたいな無邪気な人だった。でも不安になった時に見せる表情が、不穏で、この世の闇を全て抱えこんでしまいそうな目をしていた。俺はその度にひやりとした。
彼女は危険だ、と本能が訴えた。離れないと俺も闇に引き摺り込まれる、と。でも俺は一度惹かれてしまうと自分から離れたいとは思えなかった。そしてこのままずっと一緒にいれたらいいなと漠然と思っていた矢先、彼女から別れを告げられた。ホッとした自分がいた。引き摺り込まれずに済んだと。
だから、彼女がヤバくなったと聞いても、さほど驚かなかった。ただ別れてまだ日も浅いのに、こんなに噂が回るほど好き勝手やっている彼女に失望した。今頃、俺の知らない男にでも抱かれているんだろうなと想像してしまう。そして、俺のことなんて、もう、すぐに忘れたんだろうなって。
俺は振られた側だし、別れてすぐは落ち込んだけどもう吹っ切れていると思っていた。でも、こんな話を聞くと、彼女を救えなかった後悔や罪悪感が押し寄せてくる。彼女が救いの手を振り払っても、ずっと側にいる存在でありたかったんだと今になって気づく。本当は引き摺り込まれてでも、向き合える存在でありたかった。
ただただ彼女のことを愛していた。
でも、もう愛せない。
そろそろ雨が降りそうだ。雨の香りがする。
俺は涙の跡をザッザッと掻き消して前を向いた。
6/19/2025, 2:48:15 PM