nil

Open App

嘗てはボーイッシュのかっこよかった幼馴染が、今は売女のような男を煽る服を着て夜の街を彷徨いていることを知って、私は世界が嫌いになった。
プラトニックでは救われない?
あんまりだ。たくさんだ。
彼女が傷つく度に増やす耳の穴と、売買している下肢の穴が、渦を巻く油のようにグロテスクだった。この世は仕組まれているのではないかと思う。搾取したい圧倒的な優等種に。
何処を見るでもなく、涙でくしゃくしゃになった前髪の奥から、私はずっとずっと、夜を睨み続けていた。



震えた手が適切にスマホを握れない。現実の音を聞きたくなくて吐き気がするほど飽き飽きした音楽をイヤホンから垂れ流している。

うちにはWi-Fiがなかった。1台のポケットWi-Fiを必要なときにつけている。貸してくださいと所有者に言い切るように申し出て、いそいそと自室に戻ってiPadを開く。私はこの一瞬がいつも怖かった。Wi-Fiの電源を入れたときに、また使うのかい。今日は多いね。などとため息交じりに低い声で言われてみろ。私の現実逃避は一気に心のなかで価値の枯渇を進めていく。心を守るために必要だった。しかし一方で生産性がないことも理解していた。やるべきことを投げ打って捧げる時間が、一体将来の何に出会うための延命に換えられるのかが、唐突にわからなくなってしまうから。

光る画面を見つめる。同じ形にくり抜かれたアイコンが、おんなじ顔してピエロみたいに私をからかっている。両親譲りの近眼はとうに最低視力まで到達していて、医者いわくこれ以上私の視界は変わらないようだった。目の悪い人間同士を掛け合わせたらこの上なく目の悪い人間が生まれてくるなんて目に見えてるはずなのに、文字通り目の悪い両親にはそれがわからなかったようである。

顔をくっつけて、YouTubeを開く。いつも間近でアイコンを発見するため、結局画面のどこにどのアプリがおいてあるのかいつまで経っても分からない。其の場凌ぎで躱して結局要領の得ないバイトのようだと鼻で笑った。

オフラインの音楽を聴いていたスマホとのペアリングを外して、ワイヤレスのイヤホンをiPadの方に繋げた。

創作がしたくてバイト代を貯めた貯金を切り崩して購入した薄い板は、今では他人の生み出したものを思考停止で消費するだけのツールになってしまった。
オススメのいつも持って来る音楽は食傷もとうに限界を超えて、耳にするだけで死にたくなるほど憂鬱になったが、無音よりはよっぽどマシだった。

耳から入ってくる音全てが、頭をつんざくように痛い。
そもそも自殺間際の人間の諦観の曲だとか、猿になった自分を退廃にかこつけて美化する曲だとか、微塵も好きではなかった。ただ放り投げるような純愛を聴きたかった。昔母親が手放しで腕の中に収めてくれた温もりのような、大丈夫だよ、の一言が欲しいのだと思う。尤も、私を愛した母親なんかはいなかったが。

自分が愛について考えを拗らせているのは知っていた。この穴は埋めるものでもなく癒すものだとも。しかしそれが頭にあるからなんだ。ローティーンでそれに気づいたとき、同時に、普遍的な愛の粘度も必然的に理解した。
私に救いは訪れない。

意味もなく壁を見ながら、ぼうっと頭を巡らせた。今私自身がここに立っている事実すべてが嘘くさかったからだ。

例えば今こうやって壁に向かっている私を見て、何も知らない人間は壁と女を認識するであろう。そこに私の過去は映らない。何故なら示唆するアイテムの一つもないからだ。それを裏付ける証拠や、面影もない。

その女の服の下には大量の根性焼きがあって、過去に母親に捨てられたとかいじめを受けたとか、父親に洗脳されていたとか十年間いろんな虐待を受けて家出をしたとか、幼稚でモラハラ気質な祖母に生理現象までも管理されて過ごしているだとか、PTSDに苦しんで教室にいられないだとか、全部足元にくっつく影にすら記されていないのだ。だから、時折私自身も信じられなくなるのだ。自分自身のなにもかもを。

イヤホンがバッテリーローを告げた。
私はまだ考えを巡らし続けた。

私は今泣いていない。息も乱れていない。ついでに服も、乱れていない。だから、今のわたしを見て、大抵の人は私の発作の凄惨さを想像できない。それは、今の私もおんなじである。

視線を左下にやった。床が見えた。その床は過去に私が跪いた床だった。

あのとき、私は死ぬことしか考えられなかった。胸が鉛を引っ掛けられたほど重く、頭はガンガン酒瓶で殴られたように痛く、振り子のように考えが辺りに散っていた。立てなくなって跪くと、腹から内臓が零れ落ちたみたいに重力を感じた。床から生えてきた手が私の落とした内臓を引きずり込むように両手で爪を立てて鷲掴んだ。呼吸は深いはずだった。しかし魚の鰓のように切り込みの開いた喉は空気を漏らしてしまって苦しかった。誰かに助けてほしかった。しかしスマホの文字が読めなかった。涙はとめどなく溢れて、鼻水と唾液に混じって床を汚した。声を上げながらひたすら濡れた床に額を擦り付け胸の痛みに耐えた。

この悲しみを、胸の痛みを。終わらせるには死ぬしかないのだと本気で思った。きっと、死なない限りは"戻ってこられない"。だから、カーテンタッセルを首にかけて馬鹿みたいに唸っていた。

頭を占領したのは明朝体の「死にたい」という文字四十九語だった。スクロールしても終わらない唯一の読める文字は、私を追い詰めた。死にたくない。死にたくない。どれだけそう思っても頭は死ぬことしか考えていないようだった。それ以外の文字は霧散されて、私より先に死んだ。

…あの後、結局数十分にかけて腕を炙り続け、無理やりホルモンを分泌させて素面に戻した。あそこまでいくと気分転換とか、気持ちじゃどうしようもないみたいだった。

そうやって、生きるか死ぬかを切り抜けてきた今までの激戦が、こうして穏やかにここに立っているとまるで夢だったのではないかと思えてくる。

知る者がいなければそれは嘘である。私の過去を寸分違わず知っているのは私だけで、私の口を通した事実は全て私の主観になる。だから、それは私の生い立ちを聞いたんじゃない、物語を聞いたことになるのだ。

イヤホンが再度バッテリーローを告げた。
私の台詞だ、と悪態を吐いた。

私だけがこれを背負っている。私さえいなくなれば嘘になる苦悩を、とうに歪んでいるかもしれない記憶の中を、一人で生きている。傾いても、誰も咎めてくれない現実を、もう一つの現実の中で飼っている。

全部嘘ということにしたかった。粘り気のある家族愛も、叩き込まれてきた優生思想も、ミソジニーもレイシズムもなにもかも。

幼少期に食卓で見せられてきた、死体のたくさん転がる戦争のフィルムみたいに、今は面影すら残してない凄惨な当時を、溜め込み続ける存在にはなりたくなかった。

左耳のイヤホンの充電が切れた。
左心房が死んだな、と思った。左翼でもいい。そしたら死ぬのは親父なのにな、と思った。

別に大したことではないのに、確かにまだ私を傷つけ続ける過去を引き摺ったまま、しばらく右耳だけで音楽を聴いていた。

引き摺って溜め込んでいるから、夜が嫌い。寒いのが嫌い。パンが嫌い。腐ったものが嫌い。死体が嫌い。女が嫌い。男も嫌い。体が嫌い。子宮が嫌い。性に関すること全部が嫌い。大人が嫌い。
汚いから、人間が嫌い。

なんとなく、わかっている。
どうでもいい過去なのに、現在に繋がりかねるありふれた過去なのに、そうやって嘘みたいだと思うことによって蓋をしようとするから、辛くなるのだろうと。

普通のものを抱えていると思うことにしてくれ。何もおかしくなかったと思うことにしてくれ。
私はトラウマを持っていない。成り得る経験がないから。だから普遍的な人生をこれからも送れる。蓋をしていた私が取り零した人生を、なんの障害も無く。

恋愛をして、大人の順序を踏んで、結婚して、子供をつくって、温かい家庭を築く。友達と恋バナなんかをしたり、気になる異性の一挙一動に一喜一憂する。友達の結婚式に出席し、心の底からの笑顔を向ける。

決して配偶者を機嫌次第で轢いてはいけない。子供は性的な目で見ない。家族全員、たったの一人も奴隷なんかではなくて、人格を否定したり殺害をほのめかしてはいけない。しかし。

頑張って心がければ、いつか誰かが愛してくれるわけでもあるまい…。

これまでを普通にすれば、これからも普通になれる。
このままじゃ私は、普通じゃ、ない。
ぐるぐると考えて、なんだか泣けてきてしまった。
イヤホンをケースにしまい、右手で顔を押さえるようにして、目元を包んだ。

わかってる。やってる。すでにやってる。ずっと戦ってる。
お願いだ仏様。切望するのはこれだけだ。

私は純で結んだ絆に救われたいんだって。

6/15/2024, 3:05:16 PM