にーふ

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  イギリスはロンドンに居た頃、こういった天気にはそれは頭を痛めたものだった。
 薄着をすれば寒すぎて、厚着をすれば汗が出る。なにせ、日本国の運転免許などは、英国ではまったく用をなさないものであったし、どこか出掛けるとなったら、節約のために必ず歩きで、というのが定石であったからだ。

 そして、外出すれば、こういう天気に出くわす確率は非常に高かったのを覚えている。薄い雲がかかったような空に、体の芯に染むような寒風。風が止む時があれば、半袖でもじっとりと不快になるような気候だった。この時は、彼らが頻繁に立ち止まって紅茶を飲みたがる理由をなんとなく察したことを覚えている。

 敵は温度だけではなかった。天からもたらされるもの、それはやはり雨。空の機嫌が悪ければ、やつはそれを隠すこともなくざんざんと水滴を叩きつけてくるのだ。
 日本であれば、雲の様子を見れば、その日の天気は分かりやすい。微妙な日もあれど、イギリスのような人を試す底意地の悪い天気はそうそうない。
 だがイギリスの天気は、本当に面倒なのである。それはまるで、空の上で生活している誰かが、雨を降らせるかどうかを直前まで決めかねているかのような優柔不断さなのだ。
 その誰かさんにおいては、雨量の調整もヘタクソと言わざるをえない。先程まで晴れ渡っていたのに、全身に霧吹きを吹きかけられ続けるかのような天気になることもある。美しい日の入りに感じ入っていたら、突如として雷雨が襲ってきたこともある。あの日はカモメと共に悪態をついて帰路についたのを覚えている。

 ここまで書いて、やはり私のイギリスでの思い出は天候への恨みつらみが大部分を占めていることを悟った。だがここまで読んでくれた諸氏にも分かってほしい。あんな天気、たえられない。

 だがああいった天気に鍛えられた現地の住民たちは、しぶといものであった。誰もが雨を楽しみ、雷を笑い、晴れ間に挨拶するしたたかさを持っていた。
 一度、どぎもを抜かれたことがある。カフェのテラス席で、パラソルがあるとはいえ、バケツをひっくり返すような雨の中で平然とコーヒーをたしなむ紳士たちを見たのだ。
 彼らがカップを口に運ぶ所作たるや“すぐに晴れるさ”と言わんばかりの平静っぷりで、実際そのあとすぐに真っ青な空が戻ってきたのだから大したものである。パラソルから滴り落ちる水粒が、紳士たちの語らいの光景をなかば幻想的にさせていた。あるいは、私の中の英国紳士的振る舞いへの憧憬がそう見せたのかもしれないが。

 とはいえ、彼らもあまりひどい天気の時には屋内へと避難する。そしてツレと自分たちの不運について語り合いながら、ブーツを脱いで中の水を吐き出させたりしているのだ。さいわい、天気自体は10分から20分もあれば移り変わるものが大半だったので、そう長く雨宿りすることは無かったが。

 こういった話でひとつ思い出して笑ったことがある。ロンドンの名物は、天だけでなく、地上にもある。これはどういうことかというと、ストリートの様相が日々変わってゆくのだ。

 そのストリート名物のひとつ、物乞いに関して。私の友人が言うことには、ひとり、記憶に残った者が居たらしい。
 “お腹が減って動けません”と書かれたダンボールを前に、倒れたおばあさんの物乞いだ。我が友人はその前を通りかかり、偶然にも、ちょうど大雨に遭ったらしい。
 また極端な豪雨で、一週間は通りを磨く必要もないと確信できるほどの、滝のような雨粒が降り注いできたそうだ。友人はどこかに雨宿りをする場所がないかと辺りを見廻し……
 そのおばあさんが、誰よりも早くに屋根の下へと走ってゆくのを見たそうだ。

 もちろん分かっていただきたいのは、どの物乞いもそうだとは言わない。ただ、“パフォーマンス”が必要な職業であるのだ、物乞いは。そして我が友人は、その老婆の“パフォーマンス”に腹を抱えて大笑いし、とうとうコインを数枚渡してしまったそうだ。

 正直言って、私はこのエピソードを聞いた後はしばらく思い出し笑いが尽きなかった。雨が降るたび、見たこともない老婆が全力疾走する姿が脳裏によぎるのだ。それはそれは、妖怪じみて。
 そして、ふと気付いた。雨を呪うのも、雷を恨むのも、晴れ間に文句を言うのも。それらは結局、捉え方ひとつ。

 うっすらと雲がかかった天気は、きっと、無限の思い出を作る機会だったのだろう。

 もしまた英国にお邪魔することがあれば、今度はレインコートを忘れずにいよう。



目標文字数 1800字
実際の文字数 1872字

主題「あいまいな空」
副題「現代文学」

薄味カルピスがよぉ……。

6/14/2024, 10:46:26 AM