お題 秋風🍂
『今宵、秋風の吹く盤上で』
放課後の将棋部には、部長の大橋竜也(おおはしたつや)と、唯一の部員である秋凪(あきなぎ)つかさが二人で出しっぱなしの盤と駒を片付けていた。
掃除のため開けっぱなしにしている窓からは、時折秋の冷たい風が吹き込んでくる。
大橋は三年。秋凪は二年。
このまま将棋部が残るのなら、引き継いで秋凪が部長になるはずだったのだが……生憎、部員が足りず。将棋部は、今年で廃部になることが決定していた。
二人は、その最期の後片付けをしている最中だった。
「歩ってさ。 ちょっと可哀想な駒だよね」
唐突に、秋凪が呟く。
「……何で?」
「だって進んだら帰って来られないし。 大体、真っ先に犠牲になる役目だし」
「……センパイは今も犠牲になり続けている歩の気持ち、考えたことありますか?」
「ねぇよ。 てか、何で俺が責められてる雰囲気出してんだよ」
他愛もない会話を続けながら、大橋は最期に残った駒を片付けようとした。
が、持ち上げた歩が一枚、かじかんだ手から滑り落ちた。
拾おうとして、秋凪も同時に手を伸ばす。
――大橋と秋凪。二人の手が、重なった。
「あっ」
「あっ」
同時に声をあげる。
……冷たい。
ひやりとした秋凪の細く小さなか弱い手に触れて、大橋の頭に今までの出来事がふと思い出される。
――ずっと二人で頑張って。ギリギリまで部員を集めたけど……結局、皆辞めちまって……大会も出れないまま廃部になっちまったんだよな。
ふと、顔を上げると、秋凪と目があった。
手を重ねたままお互いにしばらく止まっていた事に気が付き、同時に手を離す。
「わ、悪い」
「べ、別に……」
ずっと窓から吹き込んでいる、冷たい秋の風のせいだろうか。
後ろを向いたまま、残った駒を片付ける秋凪の耳が少し赤くなっている。
大橋の頬もまた、少し赤らんでいた。
「……ズルいですよ。センパイ」
「な、何がだよ」
思わず声が上ずる。
「一年。……たった一年私より早く生まれたってだけで、先に卒業しちゃうなんて」
「それは俺のせい……じゃあないだろ。 てか『おめでとう』だろ、そこは」
そう大橋が反論すると、秋凪は顔だけをこっちに向けて、不満そうに眉を寄せる。
「センパイなんて、この歩と同じです!」
秋凪がついに身体もこっちに向き直り、少しむくれながらさっき拾った歩をずいと大橋の顔の前に突き出して来た。
「おい、それさっき床に落とした歩だろ。 俺、大学受験控えてんだぞ。 やめろよ縁起でもない」
「すぐ拾ったじゃないですか。 セーフですよ、セーフ」
「三秒ルールみたいに言うなよ! アウトよりのアウトだ!!」
なぜかつい声が大きくなってしまう。
秋凪は一瞬、驚いた顔をしたが。
直ぐにむっ、と大橋を睨み返して言い返す。
「はーーっ!?……センパイがそんなちっ――さいこと気にする人だなんて思わなかったです!!」
「ちっさい言うな! 大学だぞ!大学! 今後の俺の人生の方針が決まる、大事な分岐点なんだぞ!」
「人生って、まだ序盤の序盤じゃあないですか! 定跡も知らないくせに、なーにが人生の方針ですか!!」
「うるせぇ! 憎たらしい可愛い顔しやがって!! お前のせいで将棋の勉強も手につかなかったんだぞ、この野郎!?」
「かかかかわ――!? いきなり何てこと言うんですか!? センパイじゃなくてヘンタイです!! 今度からそう呼びます!! このヘンタイ!!」
「ああ!? 誰がヘンタイだ!! お前が可愛過ぎるのが悪い! 撤回しろ!!」
「あーーー!?また言った! ば、ば、バーカ、バーカ!!」
些細な口喧嘩はいつの間にか、もはや只の恥ずかしい痴話喧嘩の様相を呈して来ているが。
お互いに同歩しかない局面の連続で、変化のしようがなかった。
「セセセ、センパイなんて、さっさと『と金』に為って、さっさと勝ち組になってください! そしたらヘンタイは撤回してあげましゅ!!……上げます!!」
盛大に噛んだ。ここに来てまさかのポカ。
秋凪の顔が色んな感情で紅葉よりも真っ赤に染まる。
大橋も、同じく真っ赤になって叫ぶ。
「おー!? 言ったな!? 撤回させてやろうじゃねえか!! 見とけよ!? サクッと合格して告白してやるからな!?……あっ」
大橋、痛恨の悪手。頭上の評価値メーターが互角から一気に秋凪に傾く。しかし
「こっこっここここっ?こーーーここここーーー!?」
――告白?……ふーん。 センパイって秋凪のこと、そーゆー風に見てたんだぁ~……。意外と可愛いとこあるんですね~……セーンパイっ♡
――以上が一瞬脳裏に浮かんだ秋凪の読み筋だったが、現実はニワトリの真似が限界だった。
いや、限界だったからニワトリの真似になった、が正しい表現かもしれない。
とにかく、評価値が再び互角に戻る。
「ニワトリの真似してからかうんじゃねえ! くそっ!こうなったらもうここで告白してやる!!」
大橋が意味不明な捨て駒を連打して、ひるんで受けにまわった秋凪を詰ましにかかる。
「もういい!! もう分かったから止めて! 許して! 恥ずかしいから!?」
「うるせぇ! 好きだ!! 最初に勧誘した時から一目惚れだったんだよ悪いかああああああああ!!!!」
「やーめーてえぇえぇえ!?わかったから!?オーケーするから!!てか、窓開いてるってええええ!?!?」
秋凪つかさ、投了。まで大橋竜也の勝ち。
何か、お互い心に消えない傷を負ってしまった気もするが。とりあえずこの対局(痴話喧嘩)は大橋の勝利で終わったと言っても良いだろう。
しばらく肩で息をしながら膝に手をついてかがんでいた二人が同時に顔を上げる。
目が合う。思わず反らしそうになる視線を精一杯の根性でお互いに繋ぎ止める。
「……でーと」
秋凪がぽそり、と呟くが、丁度窓から強く吹き込んだ風が、声を吹き飛ばしてしまった。
「……あ?何だって?」
大橋が耳を近付ける。
「デート……どこ連れていってくれるんですか?」
今度はハッキリと、真っ直ぐな声で大橋の耳に届いた。
――次の瞬間、大橋の頬に感じたことのない柔らかい感触が一瞬触れて直ぐに離れた。
「……ダメですよ、センパイ。 奇襲の対策ぐらい、最初に覚えないと」
悪戯っぽく秋凪が微笑む。
「……だから、将棋の勉強頭に入んなかったって言っただろ……お前のせいで」
真っ赤になった大橋が、ぽりぽりと頭を掻いてそっぽを向く。
「じゃあ、適当に……えと……水族館とか、映画とか、飯食いに行くとか?……どれが良い?」
「ダメですよ。 そこはちゃんとセンパイが決めてください。……じゅうびょーう……一、二……」
「おまっ……!? 秒を読むな、秒を!!……あーもう、分かったよ! 決めりゃあ良いんだろ、俺が! それならまずは――」
秋風がより強く吹いて、重たいカーテンを動かし、外の景色が見えるようになる。
――一面、赤と黄色とオレンジの混ざる、夕日に照らされた綺麗な紅葉の並木道が、緑のフェンス越しに見えた。
もう一局始まりそうな二人の初々しいやり取りを、静かな秋の景色だけが眺めていた。
10/22/2025, 3:43:03 PM