夕焼けの様な茜色の玉、上品な藤色の玉、全てを覆い尽くす漆黒の玉。茉莉子の開けた引き出しには色とりどりの玉が行儀良く並んでいる。直径10㎝程のその玉はそれぞれにとても美しいが静かで眠っているようだ。
茉莉子はひとつ玉を持ち上げ、柔らかい布で優しく磨き、元の位置に戻す。ひとつひとつ丁寧に全ての玉を磨く。茉莉子の毎日の日課だ。いつ持ち主が訪れてもいいように。
「こんにちは。茉莉子さん、いらっしゃいませんか?」
お店の方から声が聞こえる。
「はい、ただいま」と声をかけて茉莉子は引き出しを閉めてからお店へ向かった。
お店には若い女性が立っていた。
「紗英さん、いらっしゃいませ。お迎えですね。少々お待ちください」
茉莉子はそう言って、また奥の引き出しの部屋に戻った。引き出しから桜色の玉を取り出し、店に持って行く。
紗英の目の前に桜色の玉を差し出すと、桜色の玉は眠りから覚めたようにキラキラと輝き出した。
「とても優しいいい子でしたよ」
そう言いながら茉莉子は玉を紗英に渡した。すると桜色の玉はますます輝きを増し、眩しい光を放つ。光は紗英の身体を包み込み、徐々に消えていく。光をなくした玉はもう桜色でもなくただの丸い石になっていた。
紗英は嬉しそうに言った。「ありがとうございました。全部思い出しました」
紗英がはじめてこの店を訪れたのはちょうど10ヶ月ほど前、桜の咲く季節だった。
「高校の楽しかった思い出を全部忘れさせてください」
真剣な表情で茉莉子に言った。
理由を聞くと、大学受験を控えているにもかかわらずまったく勉強に身が入らないのだと言う。将来の夢もあるし、そのために行きたい大学もある。だが、「今のままの成績では到底無理だ。一年間がむしゃらに勉強しないと受からない。」と先生に言われた。
しかし、いつも友達との遊びを優先してしまう。放課後は毎日友達と遊び、夜までLINEやSNSで連絡を取り合っていた。楽しい話題は尽きず夜更かしして授業にも身が入らない。だから、楽しい思い出を封印するのだと。
石は紗英の楽しかった思い出を全て聞き、桜色の玉になった。それを茉莉子は預かっていたのだ。
「受験はどうだったんですか?」と茉莉子は聞いた。
「おかげ様で受かりました」と紗英。
「でも、友達とは距離ができちゃって。このやり方が良かったかわからないです」紗英は寂しそうな表情で言った。
寂しそうな紗英の背中を見送って、茉莉子はまた引き出しのある部屋へ戻った。そして、また静かな玉たちを丁寧に磨いてゆく。
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お題:たくさんの想い出
11/19/2024, 10:33:34 AM