sairo

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「ありがとう。ごめんね」

それが彼女の口癖だった。
お礼の言葉に、必ずついてくる謝罪の言葉。何度言っても、その謝る言葉は消えてはくれない。

「いつも言ってるけど、何でごめんもついてくるの」
「うん。ごめんね」
「ほら、また」

指摘する度に、ごめんが増えていく。ありがとうが、ごめんで埋もれてしまいそうだ。
思わず出かけた溜息を呑み込んで、彼女から視線を逸らし窓の外を見た。
一面の白。
音もなく降り続く雪が全てを白く染め上げて。相変わらず白以外のものは何一つ見えはしなかった。
彼女が膝をつき、足に巻かれた包帯を外していく。手袋越しでなくとも分からなくなってしまったその指の冷たさを、少しだけ懐かしく思った。

「いつもありがと」
「わたしのせいだから。ごめんね」

また一つ、ごめんが降る。

「もうそれはいいって。逆に私の方こそ、ごめんなさい」

こうして黒く色の変わった足を見ても、顔色一つ変えずに薬を塗り包帯を巻く。
足のせいで制限のある自分の代わりに、何もかもの世話をする。
礼を言うのは、謝るべきであるのはどちらなのか。

「謝らないで。優しくしないで」
「優しくはないでしょう?まるで使用人みたいに、こき使っているのに」
「わたしが好きでしているの。あなたの役に立てるのが、嬉しいと思っているから」

視線を向ければ、彼女は頬を染めて微笑んだ。
その目が、その表情が。彼女の言葉が本心からのものだと告げている。

「物好きめ」

気恥ずかしさを覚えて憎まれ口を叩くものの、彼女はやはり微笑むだけで。
それ以上は何も言えず。彼女が足に優しく触れ、新しい包帯を巻き始めるのをただ見つめていた。



片付けをしに部屋を出た彼女の背を見送って、小さく息を吐く。
彼女がいつまでも自分に縛られ続けている事が、苦しい。
仕方がない事だと、何度言っても彼女は理解してはくれなかった。時には逆に窘められもした。
足を奪った化生に対して、仕方がないと宥めるのはどういう了見なのか、と。
確かに彼女の言う通りではある。
しかし、仕方がないと割り切ってしまったのも事実ではあった。

化生と知らず、仲良くなり。
ずっと側にいてと、文字通り足を凍らされた。
もう二年にもなるだろうか。

「気にするなって、あと何回望んだら応えてくれるんだろう」

彼女の側で。彼女に世話を焼かれながら。
時折戯れにしてくれた話によれば、彼女は元は妖であったらしい。
気づけば化生に堕ちてしまったのだと。
そう悲しく笑う彼女のために、それから些細な望みを口にするようになり。それを全て彼女は応えてくれた。
化生に堕ちた妖が、再び妖に戻るのかは分からない。
彼女に出会うまで、妖と化生の存在すら知らなかった自分には、彼女が今も化生であるのか妖であるのか、分からない。

「ごめんねは、もういらないのに」

彼女はずっと謝り続けている。
側にいてくれる事への感謝の言葉を口にしながら、その代償に足を奪った事への謝罪の言葉を繰り返している。
彼女はずっと後悔に縛られたままだ。

いっそこの忌々しい足を切り落とせば、彼女は自由になれるだろうか。
疾うに壊死し、使い物にならない足だ。あってもなくても変わらない。
だが彼女は悲しむのだろう。なくなってしまった足を、自分のせいだと永遠に責め続けるのかもしれない。

それよりは今のまま、彼女の好きにさせているのが彼女にとっては良い事なのか。
何度も繰り返してきた堂々巡りに頭痛を感じ、頭を振る。自身を化生だと言いながらも、どこまでも心優しい彼女を思い、深い溜息を吐いた。





寝床の仕度を整えながら、彼女は昔を想い目を細める。
化生に堕ちる前。妖としての始まりを、彼女ははっきりと覚えていた。
降り続く雪。倒れ伏す人。雪を食み、懸命に生きようとした人の子の最期の望み。

――かえりたい。

帰りたかったのか、あるいは還りたいのか。今となっては知る術はない。
だがその望みに応えるために、彼女は目覚めた。
眠る人の子を抱き、故郷へと返した。
その日から彼女は、雪と共に在り続けている。

妖とは不安定なものだ。
人の認識で妖にも、化生にも、それこそ神にすら成れるのだから。
一度化生に堕ちた彼女は、それを正しく理解している。
人の望みに応え、人から怖れられ、認識が歪み存在が歪んだ。
そしてその歪みが、ただ一人の些細な望みによって再び元の形を取り戻そうとしている。

人は時に傲慢で、そして何よりも優しく愛おしい。
彼女を妖として目覚めさせ、化生に堕としたのは確かに人であり。
彼女を再び妖に戻そうとするのもまた、人であった。

優しい人の子。
自由を奪われながらも怖れる事なく己に接し、妖に戻そうと望みを口にする子。
自身の自由を諦めながら相手の自由を願う、哀しく尊い子。
その子を想い、口元を綻ばせた。

寝室を出て、愛しい子の元へと向かう。
ぼんやりと窓の外を見る子は、今何を思っているのだろうか。

「おかえり」

己に気づき笑いかける子に笑みを返し。
華奢なその体を抱き上げる。

「もう寝るの?」
「うん。ごめんね」

謝罪の言葉を口にすれば、僅かに眉を寄せる子に気づかない振りをした。
その望みには応える事は出来ない。
化生ではなくなったが、妖にも成れなかった彼女は、心の内で望み続けている。

――最期の時まで、こうして共に在りたい。

故に彼女は感謝の言葉と共に謝罪を口にする。
己には眩しすぎるほどの貴重な光と共に在るために。自由になってほしいというその望みを否定し続ける。

「有難う。御免ね」



20241209 『ありがとう、ごめんね』

12/9/2024, 10:09:49 PM