やまんば

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「今日も来てくれたんだ」
 そう言って嬉しそうな顔をする。あぁ、今日は調子が良くないみたいだ。
 彼女の脳みそは海馬が収縮してしまって、新規の記憶とここ数年の記憶がマーブルのようにごちゃ混ぜになっている。今日は朝からこの部屋にいるのに、トイレに行って帰ってきた彼女が初めてみたいなテンションで話し出すから、僕は泣きたくなった。
 でも、今日言おうと前々から決めていた。
「あの、結婚…してくれませんか」
 何気ないタイミングだと彼女はびっくりするかもしれない。でも今日は僕にとってとても大切な日だ。
「私、記憶なくなるよ。私じゃない人の方が幸せになれるよ、明日にはこんなに嬉しいプロポーズ忘れちゃうかもしれないよ」
 彼女は冷静にそう言った。そう言いながら、傷ついた顔をする。なぜ僕の彼女は幸せになれないのだ。誰が悪い。そうして、彼女は泣きながら言った。
「私忘れたくない。今日だけは神に誓って忘れたくない。絶対に、死ぬまで覚えていたい。わすれたく、ないの」
 わんわん子どもみたいに嗚咽して泣く姿を見て、僕も涙が溢れた。一番しんどいのは彼女だから僕は彼女の前で泣かないと決めていたのに。

 あぁ神様。お願いです。今この瞬間だけは一生忘れないようにしてあげてください。今日だけは、今日だけは許してください。最悪、僕のことは忘れてしまって構わないから。

/今日だけ許して

10/4/2025, 11:42:16 AM