あかるあかり

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『旅の途中』

 美術館とか展覧会とか、あまり興味はなかった。高校の頃、美術部所属の友人はいた、彼女らの絵も見せてもらって、きれいとかすごいなとか思いはしたけれど、自分に絵心はないと知っていた。ひとの絵を評価する視点も知識もない。
 身の丈を弁えていた。

 大学に進学した。生まれて初めてひとり暮らしを開始した。進んだ学部は文学部。高校時代から気になっていた源氏物語、受験勉強をしていて読む間もなかったその名高い女流文学をいざ読まんと、バイト帰りに書店へ寄った。高い建物にぎっしり本の詰まったようなその書店は、ここが学生の街なのだと実感を抱かせた。

 田辺聖子と与謝野晶子と、初心者はどちらから手をつけたらいいのか。迷いながら売り場を廻り、友達にはひとまず漫画で予習するのがオススメ! と力説されたことも思い出す。
 漫画売り場で連載開始からずっと追っていた少年漫画の最新刊を見かけてうっかり購入。今日はこれが戦利品でいいや、手持ちもそこまで潤沢ではない。

 帰り道。
 百貨店で何やら美術展を開いているらしい。
 高校時代の美術との『弁えた』距離感はいまも心に厳然とある。しかしこのとき、何かしらの昂揚感があった。
 入場料はそこそこ良心的。無料だったらむしろ警戒感が先に立ったろう。
 喚ばれるように代金を払ってその展示会場へ足を踏み入れた。

 予備知識はゼロ。聞き覚えもない名前の画家。外国の名前だ。看板にはフランスの鬼才とあった。
 最初の一枚で既に胸をぎゅっとつかまれた。絵画ではなく写真なのだろうか。そう思うほどリアルで精緻で写実的な絵だった。
 確認のために絵の横、作品名と説明を掲示したパネルに視線を投げる。油彩とあった。ではこれは写真ではなく油彩なのか。
 もう一度絵画を見た。やはり写真と紛う作品だ。

 肌の艶、筋肉の影。髪を透かす光。足の裏の土の汚れ。
 確かに写真というには幻想的な、仕掛けはあった。落ちかかる卵の殻のような何かの欠片、女性の頭部の角めいた異形。だがそれでも……。

 一枚一枚、魅入られるように作品展示を巡る。
 絵画と自分との間に、何の距離も生じていないような錯覚すらあった。魂とゼロ距離。ぴったり貼りついて、だけど一体になれない。近いのに、共鳴するのに、隔絶されている。もとかしい想いをかきたてられたまま、気がつけば最後の展示作品の前にいた。
 腕時計を見た。たぶん二時間くらいは余裕で経っていた。そろそろ夕食の準備をしなきゃ。……しかし幸か不幸かひとり暮らしだ。
 一瞬で決断して入り口に戻る。
 最初からまたじっくりと鑑賞を再開した。

 どれだけ観たか。
 係員が申し訳なさそうにそろそろ時間だと告げに来た。ため息が洩れた。係員への不服ではない。酔ったような幸福感のため息だった。
 出口でグッズが売られていた。手持ちに余裕があるわけではない。迷った。迷った末に画集を二冊、ポストカードも数枚買った。

 それがきっかけ。はじめの呼び水。

 あれから幾つ美術展を観にいっただろう。
 美術展はまるで旅のようだ。
 訪れて何が残るわけではない。風化する、あるいは時に美化される記憶。画集やグッズは旅土産のように思い出の寄す処にはなる。それでも、それだけだ。
 手許にかたちは残らない。

 それでもそれだけ。
 だから観にいく。
 終わりはない、旅だった。

1/31/2025, 12:12:06 PM