「夢を託されることにも、自身が夢を見ることにも、もう疲れてしまったんだろう?」
男の声はいつになく穏やかだった。
「いいさ。ここはそんなこと考える必要の無い場所なんだから」
そこは彼の記憶には無い場所だった。
一面花が咲き乱れ、かぐわしい香りが漂っている。しかしよく見るとその花々は現実には存在しない色と形をしていて、彼はここが夢の世界なのだと悟った。
「そう。ここは夢そのもの。考えなくても存在する、現実には有り得ざる世界だよ」
男の声がいつもより近くに感じて、彼は僅かに身構えた。そんな彼に、男は肩を竦めて小さく笑う。
「そんな顔しない。別に取って食おうってワケじゃないんだから」
飄々とした物言いに毒気を抜かれて彼は立ち尽くす。男は満足げに目を細めると傍らに咲く白い花に手を伸ばした。
「綺麗な夢を見るのも、誰かに夢を託されるのも、君の心がそれに見合う美しいものだからだ。君はいつも自分を卑下するけど、私は君の過ちの中に、確かに美しいものを見たよ」
甘い匂い。目眩さえ感じる。
「でも、ね」
白い花が男の手の中でみるみる萎れていく。
「本当は、美しくなくたっていいんだ。たまには何もかも手放して、夢も見ないほど深い眠りに落ちるのもいいんじゃないかな?」
萎れて枯れた花びらが、一枚ずつ落ちていく。
はらはらと落ちる花びらにつられるように彼は膝をつき、咲き乱れる花の中に横たわる。
男はそんな彼を見下ろすと、唇に一層深い笑みを刻んだ。
「――おやすみ。ゆっくり眠るといい。ここは夢。現実には有り得ざる場所。何が起ころうと目覚めればみんな〝無かったこと〟になるんだからね」
悪戯を思いついたような男の、人ならざる色をした目だけが爛々と輝いていた。
END
「夢見る心」
4/16/2024, 3:52:47 PM