『神様が舞い降りてきて、こう言った。』
いつものようにくわで畑を耕していたとき、耳元で囁かれた気がして後ろを振り返ってみたがそこには誰もいない。収穫時を迎えてたわわに実る野菜を採る手を止めた家内が不思議そうにこちらを見つめていたのでなんでもないと声を掛けた。近頃そういった空耳が多くて妙に思っているが医者にかかるには山を越えなければいけないのもあり、それ以外の不調を特に感じていないのでほったらかしになっている。
とんぼを追いかける子を微笑ましく眺めてから畑仕事に戻ろうとしたが、見慣れない鎧姿の男が視界に入り緊張が走った。抜き身の刀を持ち髷が解けてざんばら頭となった男が幽鬼のように佇んでいる。ただの流れ者ならば介抱してやるところだが、正気の光とは思えない目をした男は刀を振りかぶって雄叫びをあげた。
争え、と声が聞こえて驚きや戸惑いで動けずにいた誰よりも早く動けていた。手にしたくわを男の脳天に振り下ろした後からはあまり記憶が定かではなく、家内や村の連中が腕に追い縋っていることに気づいてやっと意識が戻った。ざんばら頭の男は絶命していた。
村の婆様は国のあちこちで起こっている戦から逃れてきたのがあの男であり、おれが空耳のように聞いていたあの声はそのいくさばで囁かれていた声ではないかと言った。耳に入れば我を忘れて見たものを倒せと言う神様の声を、おれはたまたま耳に拾ってしまったのかもしれない。
「いくさばの神様は惨いことをしなさる」
落ち武者の亡骸は村の皆で丁重に葬った。くわを握っていた手に残った感触はそれから先もずっと残り続けた。
7/28/2024, 12:16:21 AM