はた織

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 自転車に乗りながら、私はふと横を向いた。小さな公園の長椅子に、木陰の下で黒い半袖を着た人の背中が見えた。真っ黒な服とよく日焼けした肌を見入った瞬間、彼の背中から黒猫の残像が現れた。面影ともいうべきか。
 ともかく、私の毛先が天からの霊性を察知し、髪の毛を通して脳髄にも染み渡っていく。脳味噌のような紐状の記憶の奥から、ひょっこりと黒猫が顔を出した。久しぶりと言わんばかりの懐かしい笑みを浮かべている。香ばしい香辛料と白煙の燻る水煙草の匂いがした。
 中井久夫の著書に、日本人はアジア文明の終着点であり、彼らの祖先は、どうもアジアの更に奥にあるアフリカからやってきたという。
 大陸全土を照らす灼熱の太陽に焦がされた黒猫も、きっと私の遠い遠いあまりにも遠すぎる祖先のひとりなのだろう。
 私は、しなやかな猫の尻尾の後を追って、薄暗い記憶の奥へ奥へと潜っていった。地下に降りているかと思えば、洞窟のように奥へ進んでいるようだ。洞窟と思い浮んで、咄嗟に記憶の壁に触れてみる。
 指先に乾いた砂と湿った土が、同時にくっついてきた。土壁と化したそこには、複数の溝やら傷やらが刻み込まれている。石のように固まっていたその傷は、触れていくと私の体温で溶けたのか、だんだんと柔らかくなっていく。気がつけば、丸みが帯びて触り心地が良い。まるで猫の毛のようにふんわりとして柔らかだ。
 猫の目のように暗闇の中を見通せる瞳を持った私にもその画が見える。人間と猫が戯れている壁画が、洞窟の中に刻まれていた。皆、仕事や家事、読書しながら猫の口を耳に当てている。
 動物の物語を気軽に聞いていた時代に、ようやく追いつけたと私が安堵していたら、一匹だけ背を向けていた壁画の黒猫が振り向いた。遅いぞと言わんばかりに、牙を見せて笑っている。
                (250616 記憶の地図)

6/16/2025, 12:59:43 PM