sairo

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風を従え、男は夜空を駆け抜ける。
背の翼は夜に解けてしまいそうなほどに黒く、けれど男の姿は朔の暗い夜でも鮮やかだ。
遠く山の向こうへ消えていく男の背をぼんやりと眺めながら、自分の背の翼に意識を向ける。
風の声を聞きながら、翼を動かし空を飛ぶ。風に励まされながら飛ぶ自分の姿は、あの男の飛ぶ様には程遠い。
はぁ、と溜息を吐き、地に降りる。風に礼を言いながら、空を仰ぎ見た。


「随分と元気がないね。何か困り事かい」

聞こえた声に別に、と答え。声を気にせずに後ろでをついて座り込んだ。
今宵は星がよく見える。流れる星を探して彷徨う視線は、けれども上から覗き込む影に遮られ、眉が寄る。

「別に、という顔ではないな。話したくないのかい」

しなやかな尾を揺らし、逆さまに除く影が問いかける。月の色をした翼が夜の闇にぼんやりと浮かび上がった。
話したくないと言われれば、それは正しくはない。そも、困っているのともまた違う。それを伝えようとするも適切な言葉は思い浮かばず。悩み口をついて出たのは、別に、の言葉だった。

「だから別に、という顔をしていないだろうに。まあ、大方予測はついているがね。適切な言葉が分からないのだろう」

その言葉に頷いて、肯定する。やはりね、と笑う逆さまの影――翼のある猫は背の翼を羽ばたかせ、くるりと向きを変えて顔を近づけてきた。

「では、質問をしよう。――彼が嫌いかい」

彼。山の向こうへ飛んで消えた男を思い出す。

「嫌いじゃ、ない。むかつく事もあるけど、なんだかんだ言って最後には助けてくれるし。あいつの飛び方は…好きだし、憧れる」
「そうか。じゃあ、彼自身はどうだい。好きかな」

好き、の言葉に困惑した。
男の飛び方は好きだ。風を従えて自由に空を駆ける男の姿は、とても綺麗だと思う。
だがいくら飛び方が好きだと言っても、男が好きかと問われれば素直に肯定する事が出来ない。

「あいつの言い方は好きじゃない。俺の事をいつまでも半人前扱いして。すぐにあれは駄目だとか、お前にはまだ早いだとか…認められないのが、気に入らない」

愚痴混じりに答えれば、猫は目を細めてにんまりと笑った。

「それは仕方がない。彼にとって、君は飛び始めたばかりの赤子のようなモノだから。何かにつけて心配になるのだろう。君はうっかりさんな所があるみたいだしね」

何も言い返せずに、視線を逸らす。
男に軽率だと注意をされた事を思い出した。
行動する前に考えろ。後先考えずに突っ走るな。
何度も言われた事だ。自覚はあるため反論は出来ない。

「それだけ大事にされているって事だよ。風にも好かれている事だし、良い事だと僕は思うがね」
「でも…少しくらいは、認めてほしい」

言葉にして。すとん、と胸につかえたような気持ちがなくなった。

――ああ、そうか。
自分はあの男に認めてほしいのか。


「もっとあいつに近づきたい。背中じゃなくて、横顔を見ながら飛びたいのに。いつになったら――」
「複雑だね。素直でないとも言える」

にやり、と猫の深い緑の目が笑みに歪む。自分の周囲を一回りして正面に戻ると、音もなく地に降りた。

「彼に認めてもらったとして。それが彼の隣にいる理由に繋がるかと言えば、それは否だ。認めてもらう事はつまり、独り立ちを意味するからね」
「それは、分かってる、けど」
「どうだかね。独り立ちをする事と、近づきたい事は正反対ではないのかな」

膝の上に飛び乗って、猫は小首を傾げる。おそらくは全てを察して、あえて言葉を紡ぐのだろう。
自分に、気づかせるために。

「――あいつと、対等の立場になりたい。隣を飛んで、同じ景色を見てみたい」

小さく溢れ落ちた言葉が、形に出来なかった想いの全てだった。
その為には、後どれだけの人間の望みに応えればいいのだろうか。
猫を見る。猫は何も言わず、お互い無言で見つめ合う。
ふと、風が吹き抜けた。猫の羽根を揺らし、自分の背の翼に、戯れるように纏わり付く。

――飛べ、と風が話しかける。

「そうだね。風の言うとおりだ。難しく考えず、目の前にある出来る事をこなしていけばいい」

まずは飛ぶ所から、と猫は翼を広げて飛び上がる。
おいで、と風が呼ぶ。
導かれるまま立ち上がり、翼を広げた。
風の声を聞く。大きく翼を羽ばたかせ、風を纏い猫の元まで飛び立った。

「そうだ。君はそれでいい。彼を意識して風を従えるのではなく、風の声を聞くんだ」
「風の、声」
「それだけで風に愛される君は、何処へだって飛んで行ける」

猫を追い、さらに高く飛ぶ。
猫の月の色をした翼がはためいて、暗い夜空に朧月のように浮かび上がる。
猫を追う。
追いかけて、そして追い抜いて先を駆ける。
彼のように、夜空を流れる星のように駆け抜けていく。

「行っておいで。彼と話をするといい。一緒にいたいと、素直に話す事だ」

背後で猫が楽しげに声をかける。
そんな事言えるか、と内心で文句を言いながらも、振り返る事はない。さらに速く、駆け抜ける。
くすくすと風の笑い声。
何を話すかくらいは考えたら、と揶揄われて、思わず止まりそうになる背を風が強く押した。

――後先考えずに突っ走るな。

男の忠告を思い出す。今まで、聞き流していた言葉を噛みしめる。
風は止まらない。男の元まで行くのだろう。

只管に夜空を駆け抜けながら。
緊張と気恥ずかしさと、僅かばかりの後悔を胸に、男を見送った時とは正反対の思い出し、深く溜息を吐いた。



20250222 『夜空を駆ける』

2/22/2025, 3:54:22 PM