Myouri

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 私は、教師のある秘密を知っている。それは、蔵書紹介の紙を見ている時に友達から聞いた。
「この〇〇〇〇ってあの先生やったで。」
 家に帰ると、本で話が合う父に話した。
 数日後、父はその教師の書いた本のうち一冊を図書館で借りてきた。
 私は気になって、その教師の本についてネットで調べてみた。驚いたことに、その教師の書いた本の中には、ある大きな賞を受賞しているものがあった。
 父が借りてきたのは、その本ではなかった。それはやはり、賞を受賞しただけあって、予約で埋まっていたみたいだ。
 今までは、教師という面でしかみてこなかった相手の新たな一面が見れる。こんなもの、ワクワクするに決まっている。相手の秘密を握っているというなんとも言えない優越感と満足感。これは、読むしかない。
と言っても、これは最初だけでそんなにこの感じは長くは続かない。
 結局、私がその教師の本を読んだのは父がそれとなく勧めてきたからだ。
 先に少し読み進めていた父は、その本について、価値観の破壊を受けた。と感銘を受けていた。私も、それに続いて読んでみた。
 まずそれを読んで思ったのは、やはり人に勧められて読むものは、相手がここが良かった!というポイントをいつの間にか少し気にしながら読んでしまう。そうすると、面白みも、自分が新たに発見して読もうと思ったものに比べれば、やはり半減してしまう気がする。
 少し、残念な気持ちを抱きつつも、1ページ1ページめくっていった。
 面白かった。が、この面白いというのは、中身のこともあるが、それよりも教師という面を被っている人間の密かな活動を覗いているという状況が面白かった。
 身近に、それも学校という限られた空間の中に、大きな秘密を抱えている人間がいる。
 本というのは、私の人生のバイブルだ。それを書く側の人間がまさに手の届くところにいる。そんな状況、今まで誰が想像しただろうか。
 しかし、これから『どうしたらいい』のだろう。私は、もうその教師のことを、今までのように「教師」として認識することはできない。教師、ではなく、どちらかというと、作家が目の前で授業をしている。というふうにしか捉えられなくなってしまったではないか。
 だが、よくよく考えてみようではないか。その教師の本のファン側からすると、その本の作者に教えてもらっている私はなんと幸運なのなだろうか。
 こう考えると、なんとも得をしているような気分になる。それも、学生であるという立場でしか味わえないとなると、美味しさも倍だ。
 こんなわけで、知ることもなかったであろう秘密を知ってしまったのだが。もしかしたら、本人としては秘密ではないかもしれない。それを聞こうか、聞かないかで今私は授業の度にグルグル考えるのだった。
 

11/21/2023, 3:22:55 PM