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私は初めて、自分の意思ではなく、衝動で絵を描いた。あんなに心を突き動かされたのは人生の中で数えられるぐらいしかないだろう。
今回の絵は自分の今までの作品の中でも上位に上がってくるほどの出来栄えだ。
今回の作品の名前は__

__20xx年
思ったように絵が描けず、画家人生で初めてのスランプに陥った私は、今日も部屋の中央に静かに佇むイーゼルを見つめていた。絵の具をパレットに広げても、筆で色を掬いとっても、何も浮かばない日々に嫌気がさし始めていた。
画家になったのは三年前で、まだまだ名前が広まっていない画家だったが、それでも価値を見出してくれる人たちがいて、お金を出してくれるお陰で私は何とか生活ができていた。順風満帆だと思っていた画家人生だったけれど、今回のスランプでその自信は喪失し、今までのような自分らしさを残した絵が描けなくなっていた。憧れている画家の色が入ったような、どこか他人の作品を描いているような気分になっていて、その気分のせいか、作品がその画家に似ていっているような気がした。それからは、全く自分らしいアイデアが湧かず、そのせいで勿論自分らしい絵など描けるわけもなかった。

そんな憂鬱な日々を過ごしていたある日、いつものような質素なご飯を口に入れている時に、それは突然耳に入ってきた。
「十歳の凶悪犯」
アナウンサーの口から発せられたであろうその言葉を聞いて、一瞬耳を疑った。十歳?まだ義務教育すら完了していないで人を殺すなんて、なんて非道な子供なのだろう、と。顔を上げ、視線をテレビに合わせる。人を殺せそうにはない小さな少女がそこには映っていて、華奢で真っ白な手には手錠がかけられていた。
"十歳の凶悪犯"として取り上げられた彼女は、その後ネットによって実名と顔を晒された。
彼女の名は白井 愛(しらい まな)。美しさの中に何かを秘めているような彼女の顔は、こちら側に一切殺人犯だと連想させてくれなかった。
そんな幼い少女が起こした悲惨な事件は下に記す。

20xx年○月16日 「幼女一家殺人事件」
犯:白井 愛 (十)
被害者:父 白井▢▢、母 白井▢▢、妹 白井▢▢、祖母 白井▢▢
凶器:刃渡り数十センチの包丁、長さ十メートルのロープ
白井は当日の真夜中、家族が寝静まったのを見計らって、犯行に及んだとみられている。
彼女の父と母の身体には何十回も包丁を抜き差しされた跡があった。即死と思われる。
妹の白井▢▢はロープで一回首を絞められ、一時意識を失ったが、一度意識を取り戻したとみられる。その際、意識を取り戻したことに気付いた白井が、包丁で心臓部分を刺したとみられる。包丁はそのまま残っていた。
祖母の▢▢はロープで首を絞められ死亡したとみられる。乱闘した形跡あり。 (ニュースより要約)

彼女は四人を殺した大量殺人の犯人とされ、十歳にして死刑が確定した。その為、警察側が実名と顔を出しての報道を許可し、二日という短期間で、あっという間に各地で彼女の名前と顔が知れ渡っていった。彼女へ刑が執行されるのはこれまた随分と早く、ニュースが報道されてから二週間後に行うと公に報道された。

彼女の刑執行の二日前。私は漸く彼女に会う機会を貰うことが出来た。私は彼女のニュースを見たあの日から、彼女の顔が出回ったあの日から、彼女に取材を申し出たかった。あの小さな身体の中で、何を感じていたのだろう。あの小さな頭で、何を考えていたのだろう。気になって、絵を描くことすら忘れていたほどだった。
面会室でガラス越しに見る彼女は予想以上に小さくて、本当に彼女が両親を殺すことなど出来るのだろうか、本心でそう思った。
彼女はずっと下を向いていて、こちらを見る気配がなかったので、こちらから話しかけた。
「あの、初めまして」
ぺこ、と遠慮気味に頭を下げた彼女は本当に幼くて。
「貴方はあの時なにを感じていたの」
真っ直ぐな言葉を彼女に向けて放っていた。彼女は暫く黙った後にゆっくりとこちらを向いて口を開いた。
「ただ、ひとをころしたくなったの」
ゆっくりと、だけど真っ直ぐに、はっきりと発されたその言葉は、普通の幼稚園児が蟻を無意味に踏んづけるような感覚だった。何だか人を殺すことが、彼女の世界の中では当たり前かと感じさせられたのは、きっと彼女のまだ世界の汚さを知らない、純粋無垢な瞳に私が魅せられたからだと思う。

そこで面会時間が終わった。私はすぐに家に走った。
今。今じゃないと、この繊細さは作り出せない。
部屋の扉を勢いよく開けて、今まで逃げてきた白紙の板と向かい合う。パレットには必要な色だけを乗せて。自分が感じた衝動に身を任せて、ひたすらに手を動かす。真っ白なキャンバスに沢山の色が重なっていく。こんなにも胸が躍ったのはいつぶりだろう。
私は寝る間も惜しんで絵を描いた。気付けば十五時間が経過していた。あともう少し。あともうちょっと。

やっとの思いで作り上げた二つの大きな瞳の絵。
絵の題材になった彼女は明日には刑が執行されることだろう。
この絵に名前をつけるならばこれは。

「澄んだ瞳」

7/31/2024, 10:23:26 AM