柔良花

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「見て、懐かしいもの出てきた」

 春うららかな平日の午後3時。濃いめに入れた緑茶といちご大福で素敵なおやつ時を過ごしていると、押し入れの整理をしていた母から声がかけられる。その手には表紙の端が少し破れたノートの様なものが握られていた。

「なにそれ」
「学級文集。あんたが小学生の時に書いたやつよ」
「えー、そんなの書いたっけ。というか掃除途中でしょ、戻りなよ」
「手伝い免除したげてんだから、話し相手くらいにはなりなさい」

 そう言って母は私の隣に腰を下ろし文集を開く。相変わらず強引な人だ。まあ、思い出に浸るのも悪くはない。粉まみれの手をウェットティッシュで軽く拭きながら文集に目をやる。

「ん、」
 すかさず母が私の横腹を肘でつついた。何事かと軽く睨めば急須の方に視線を向けている。溜息をつきながら彼女の分のお茶を入れた。

 学級文集は小学二年生の終わりに書かれたものらしい。題材は『将来の夢』とまあありきたりなものだった。警察官に看護師さん、お花屋さんといった一般的な職業から怪獣やクレヨンのような荒唐無稽なものまで様々で、各々の自由な発想が感じられる。大人になって擦れてしまった私にとっては、小さな彼らの夢物語はとても輝いて見えた。

「あ、あんたの書いた奴見つけた。どれどれ〝わたしのゆめは〟……」
「ちょっと音読しないでよ。流石に恥ずかしい」
「少しくらい良いでしょ。えーと、〝きらりちゃんとおかしやさんをやることです〟だって。かわいい夢じゃないの」
 
 楽しそうにけらけら笑う母。忘却していた過去の夢を暴かれた、何とも言えぬ恥ずかしさが頬を熱くする。我が親ながら無遠慮なものだ。ただ、悪意はないのだろう。 笑い声からは馬鹿にしている、というよりは我が子の成長を懐かしんでいるような柔らかさが感じられる。そんなところが憎めない。
 口に出そうになった文句を緑茶で流し込めば、少し熱めのそれは体温と同化するかのように染み渡った。うん、やっぱり渋い緑茶は良いな、ほっとする。

 それよりも〝きらりちゃん〟か。 彼女のことは覚えている。 気づいた時には友達で、いつも一緒におままごとやかくれんぼをして遊んでいた。いちごが大好きでよく笑う、 そんな子だったはずだ。
 4年生になる直前に引っ越しか何かで離れ離れになってしまったが、今頃はどんな人生を歩んでいるのだろうか。 何だか無性に気になった。
 
「きらりちゃん、 今どうしてるんだろうね」
 
 そう何気なく呟けば、母は一瞬きょとんとした顔でこちらを見る。そして、またけらけらと笑い始めた。
 
「なに笑って。 何かおかしいこと言った?」
「ごめんごめん。そっか、言ってなかったか」
「言ってないって何を」
「きらりちゃんはあんたのイマジナリーフレンドって奴なのよ」
 
 イマジナリーフレンド、 空想上の友達。 意味を理解するのに数秒かかった。しかし納得はいく。 いくら幼少期の記憶とはいえ友達になったきっかけや家の場所、彼女の家族や離れ離れになった理由、そういった個人情報がごっそり抜け落ちているのだ。
 それに先程から文集の中に〝きらり〟と呼べる名前の子が書いたものが見当たらない。特徴的な名前だ、存在するならば気づかないわけがない。もちろん同い年じゃない可能性も残っているが、そんな微かな可能性より何故だか母の一言の方が何倍も信じられた。
 
「きらりちゃんが来たからジュース出して〜とか、きらりちゃんのお母さんに挨拶して〜とか、お母さん大変だったんだから」
「なら、 どうして今まで言ってくれなかったの……」
「あんたが信じてる大切なお友達を、ほんとは居ないだなんて言えないでしょ」
「そりゃそうかもしれないけど」
 
 形容しがたい感情に思わず机に突っ伏す。 忘れてしまった幼少期の夢、見えなくなったお友達。当時は何でもないものだったそれらは、今となっては得ることの出来ない、純粋で特別なものだ。少し切なくて、どこか温かくて、なぜだかむず痒い。
 記憶の底に埋められたタイムカプセルの威力は、なかなかに凄まじいものだった。
 
「大人になるってちょっと残酷だね」
「なに知ったような口きいてるんだか。 私から見たらまだまだ子供だよ」
「まあ、でもさ」
 
 顔を上げ、 半分残っていたいちご大福を口に運ぶ。 いちごのさわやかな甘酸っぱさがこし餡の甘さに包まれて、先程までの思い出話に似てるなとぼんやりと思った。
 
「こうやっておやつ食べながら話している時間も、十年後思い返したら大切な思い出になってるのかな、とか考えた」
「そうかもねえ」
 
 母はうんうんと頷いてお茶を口に運ぶ。 カーテンが揺れ、温かな風が室内に取り込まれる。風に紛れて下校中だろう子どもたちの、弾むような話声が聞こえてきた。
 

【大切なもの】

4/3/2023, 9:42:40 AM