香草

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「熱い鼓動」

夏休みは学生の特権!と死んだ大人たちから羨ましがられる声を仄聞するが、果たしてこの暑い暑い日本で暑い暑い灼熱の体育館で汗を流すことを考えたらその声も聞こえなくなるんではないかと、私は思っている。
日陰に逃げてもまとわりついてくる暑さを耐えながら私は心臓破りの坂をヒイヒイと自転車のペダルを踏んでいた。
まだ午前中、朝の気温が上がりきっていない時間だからといっても暑い、暑すぎる!
すでに背中には汗が流れ血管がブチ切れそうになっているけれど、これから体育館でひたすらボールと向き合って汗を流すことを考えると、めまいまでしてくる。
途中で水分補給をしながら坂道を登り切り、クーラーのかかった部室で張り付いたTシャツから新しいTシャツに着替える。
ずっと涼んでいたい気持ちがあるが、今日は私がボールやらネットを準備する当番が回ってきている。他の部員よりも早起きした意味がなくなってしまうので、重い腰を上げた。

今は朝8時。9時から我らバレーボール部の練習が始まるので、それまでにネットやボール、得点板の準備をしておかなければならない。
朝の体育館は涼しい、そんなバカみたいなイメージを持つのは文化部か学生時代の辛い経緯をまるっと忘れた大人だけだろう。
実際の体育館は締め切られているからむわっと重く蒸し暑い空気が充満しているのだ。
身構えながら扉を開けると、
「あれ?」
思いがけず若干涼しい風が吹いてきた。
原因はすぐに分かった。
強くボールを叩きつけキュッとリズムよく音を立てる一人の男子。
蝉がうるさくてまったく扉を開けるまで誰かいるなんて気づかなかった。
今日はバレーボール部もバスケットボール部で練習が被っていてコートを半分に分ける日だ。いつもより準備する面積が少ないので私自身ラッキーと思っていたのだ。
どうやらバスケ部の一人が早めに来て自主練しているらしかった。

男子はイマジナリーの敵を生み出して練習しているようで、何にもない空間を右へ左へとくるくる回転しながらゴールに向かっていた。
バスケットボールにはあまり詳しくないけれど、彼のプレイはとても上手い方なんじゃないだろうか。
ボールが彼の手に吸い付くように収まるし、まるで踊っているかのような綺麗な足捌きだ。
そうっと横をすり抜け奥のバレー部のコートへ行こうとしたとき、すぐそばの窓からシャンプーの香りがした。
え?私も彼も汗くさいはずなのにシャンプー?
不思議に思って恐る恐る窓の外を覗き込むと、真っ黒な頭がうずくまっているのが見えた。
夏休みなのに制服を着てぼーっと、体育館前にある蛇口を見つめている。
ギョッとして思わず後ずさったけれど、もし熱中症とかで座り込んでいるならほっとくのはまずい。
「大丈夫ですか?」
なんせ窓の真下にいるから驚かせないようにと思って小声で声をかけた。
それでも少しギョッとされてしまったようだ。
彼女は少し慌ててシー!と白く細い指を口に当てた。

「大丈夫です…お構いなく…」
まるで両親がたまに招き入れる客人のような口ぶりで彼女は気まずそうに答えた。風鈴のような涼やかな声だ。合唱部かな。
バスケットボールを操る彼はゴールしか見えていないようでこちらのやりとりには全く気づいていない。おそらく私が来たことにも気付いていない。
彼女は窓のへり越しに体育館の中を覗き込んだ。途端に顔を赤らめ、また元の体勢に戻ってしまう。
はっはーん?
甘酸っぱい空気が流れ始めて私は奥のコートへそっと退場した。
倉庫からボールのカゴを出してくるとボールを彼女がいた方向へ転がした。
「ごめんなさーい!そこのボール取ってくれませんかー!?」
ようやく私の存在に気付いた彼と困ったようにボールを抱えた彼女がこちらを見て、お互いを見た。
彼は恥ずかしそうにダムダムとボールをつき、彼女は恥ずかしそうにこちらにボールを転がした。
お互いのボールのバウンドがシンクロしたとき、私は思わず熱い鼓動を感じずにはいられなかった。

7/30/2025, 12:11:36 PM