「夢なんて、嘘なんだ…」
今にも泣き出しそうに俯いた少年が、そう言った。
少年の言葉の前には、旅芸人が座っていた。
陽気なぴかぴかの原色に彩られた服を着て、豪奢で変わった帽子をかむった旅芸人は、細高いその身長も相まって、この村の日常の景色の中では、一際目立って見えた。
この旅芸人は、夢を売りにきた、との口上と共にやってきて、もう二週間ほどこの村の人々を楽しませてきたのだった。
少年は、着古した制服を纏い、爪先の削れた年季の入った靴をじっと見つめて、言葉を吐き出した。
旅芸人の方は見れなかった。
旅芸人は黙って、少年を見つめた。
「夢なんて、嘘なんだ!夢なんてないって気づけないと大人になれないんだ!夢は嘘、夢は見れないんだって気づくことなんだって!夢を忘れることなんだって!大人になるってことは、サンタクロースがいないって、空は飛べないって、手品にタネがあるって信じることだって、言ったんだ、アイツも、あの子も!みんなも!」
顔を上げて、少年はしゃくりあげながらそう言い放った。
旅芸人は、この少年を知っていた。
この村で何か出し物をする時、必ず一番前で、目をキラキラさせながら、こちらを見ていた顔だった。
それで旅芸人は、少年の身に起きたこと、少年が自分に言いたいことを悟った。
旅芸人は、どこからともなくハンカチを引っ張り出して、少年に差し出した。
そして肩を怒らせた少年をそっと促して縁石に座らせ、自分もその横に座った。
ハンカチを握りしめた少年が少しずつ落ち着く様子を見守りながら、旅芸人はおもむろに口を開き、ゆっくりと話し始めた。
「…大人になるっていうことは、夢を見なくなることじゃない。大人だって、物語に心を躍らせるし、本を読むし、僕の見せる夢を見にくるだろう。大人だって夢を見る。夢を信じている」
「けれどね、大人は夢を見ているだけではいられない。空を飛ぶには、何がいるのか考える。サンタクロースが現実になるためにはどうすればいいか、考える。自分の手で作り出せる魔法を考える。…そういうことが出来るのが大人だ」
「大人になるってことは、夢を嘘だと思ってつまらなくなることじゃない。夢を信じるだけのゲストから、夢を信じさせるオーナーになるってことなんだよ」
旅芸人はおもむろに立ち上がり、空に手を伸ばす。
飛んできた風を掴むように、手を動かして、その手を少年の前でゆっくりと開く。
そこには白く輝くコバルト銀貨が、一枚握られていた。
「大人になるっていうことは、こんな風に、人に夢を見せる側になるってことなんだ」
泣くのをやめて、目を丸くして銀貨を見つめる少年に、旅芸人は優しく微笑んだ。
「これは君にあげよう。なんたって君は、夢を信じるだけの子どもでもなく、一緒に夢を作り出す大人でもない。君はこれから、現実を駆使して誰かに夢を見せるような大人になれるんだ。だからそれは、その将来のための、僕のささやかな投資さ」
少年が、恐る恐る銀貨をつまみ上げるのを見届けてから、旅芸人は柔らかく笑って、少年の頭を優しく撫でた。
「それじゃあね。…周りの子の夢も、君の夢も覚めてしまったかもしれない。でも、君たちが見ていたあの夢の続きはきっと見れるよ。君たちが、君が、大人になって作り出すんだ。それは僕の仕事じゃなくて、君の仕事さ」
旅芸人は身を翻し、少年に背を向けた。
「君に銀貨を渡せて良かった。これが、ここでの僕の目的だったからね。じゃあね」
「あの夢の続きを、またいつか!」
そういうと旅芸人はマントを翻した。
あっという間に、旅芸人は遠く、村の門から、街道へ出ていくのが見えた。
少年は、ゆっくりと銀貨を握った。
さっきまで感じていた、大人になることへの怖さも、悲しさも、絶望も、苦しみも消えていた。
その代わりに、ほのかにあたたかい、あの夢だけが、胸の奥に残っていた。
「あの夢の続きを」
少年は、銀貨を大切に胸に抱いて、一人でつぶやいた。
「あの夢の続きを作るのは、僕なんだ」
銀貨のように冷たくてキラキラとした北風が、村を通り抜けていった。
1/12/2025, 3:15:09 PM