・行かないで
ほんの少し、休憩するだけ。そのつもりだったのに。気がつけばあいつは、ずっと先を歩いていた。ゆっくりと、でも、着実に。
ゴールはもう、あいつの目前だ。
間に合わない。
…行かないで。
***
思えばオレの人生は、いつも、誰かを追いかけていた。たくさんいる群れの仲間の中で、オレは一番、走るのが遅かったから。か弱い野うさぎのオレたちにとって、それは致命的。小さい頃はお母さんが運んでくれたけど、今となってはもう無理だ。
『あんた、足手まといなのよ。いい加減、出ていって』
その言葉がぐるぐる回って、吐きそうで。行くあてもなく彷徨っていたとき、顔見知りのカメに出会った。
『おい、カメ。勝負しようぜ。あそこの池までだぞ。よーい、始め!』
うさぎとカメ。勝って当然。かっこ悪くてもいい。一度くらい、誰かに勝ちたかった。
やれやれ、と言った様子で歩き出したカメを、視界の端にとらえてほっとする。
半分くらい来ただろうか。カメはずいぶん後ろを歩いている。罪悪感が胸を掠めた。いや、そんなの知ったことじゃない。頭を冷やしたくて、そばの草むらに寝転ぶ。
そして…今に至る。カメにはもう、追いつけない。くだらない言い訳が浮かんでは消える。昨日は群れを追い出されたショックで眠れなかった。疲れていたんだ、といえば。
ふいに、笑えてきた。どうせオレは役立たずだ。カメに勝ったところで、何になる。虚しさが増すだけだ。
とぼとぼ歩いて、池に向かう。ムカつくことに、カメは、プカプカと池に浮かんでいた。何を言えばいいのかわからなくて、意味もなくそっぽを向く。
カメが吹き出した。
「ねえ。あそこ見て」
カメの視線の先には、大きな木があった。意図が読めない。眉を顰めると、カメはふふっと笑う。
「どうして、池をゴールにしたの?木の方が目立つのに。それからこの道も。あっちの道のがまっすぐだわ」
オレが答えられないでいるうちに、カメは続ける。
「わたしのためでしょ。水のある場所をゴールにしたのも、この道を選んだのも。あっちの道は岩がたくさんあるもの」
そんなことない、と言いかけた言葉は音にならなかった。年齢不詳のカメは止まらない。
「何があったのか知らないけど、あなたはとても優しい。その優しさに救われる動物が、どれほどいると思う?こんなバカなこと、もうやめなさい。あなたは、役立たずなんかじゃないんだから」
ひゅうっと、息が詰まる。ずっと誰かにそう言って欲しかったんだと、気づいた。
でも…まてよ。
「なんでお前が、そんなこと知って…」
ふふっと、また笑って。
「あら。秘密♡」
10/24/2023, 1:39:53 PM