夜叉@桜石

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本日は彼の目線からお届けします。

「お、モンシロチョウか」
事務所の窓の外、よく晴れた空に一匹の蝶が舞う。
大きな樹が立つその庭は、すでに春の色が薄れつつあった。
「まじ?どこッスか?」
後輩の青年が、俺の独り言を拾って窓から身を乗り出す。じっと空を見つめて、かなり熱心に探しているようだ。仕事にもこれくらいの熱意を持ってくれたらいいんだが、世の中そう上手くはいかないものだ。
「蝶々探しもいいが、仕事は終わったのか?」
俺が声をかけると、青年はクッと肩を動かし、ぎこちない動きでデスクに戻った。大袈裟なため息を吐いて、不満そうにモニターを睨みつける。そんな顔をしているが、今日まで仕事をサボっていたのはお前だぞ?と苦笑をして、俺は休憩に入る。
窓の外にはまだモンシロチョウが待っていた。今度は、二匹。

ずいぶん、昔。
同じような景色を見た。
確かそれは、赤煉瓦のビルの喫茶店で、ステンドガラスからの光が俺たちを輝らして、唯一のガラス窓から、外を覗いた時。街なかには珍しい、緑が茂る空き地、白く輝く二つの光は、ちょうど座った人間の目線の位置に舞っていた。
普段は表情筋が仕事をしないお前の顔が、少し緩んで、瞳に映る光が美しかった。

「なにしてんスか、あんたも仕事してくださいよ」
青年が、口をとがらせて俺に言う。真っ白な室内の壁紙が、思い出も覆い隠してしまうような気がした。ただ、窓辺のチューリップだけが、鮮やかなオレンジ色をしていた。

モンシロチョウは青空を舞う。
ある、春の終わりの、古い思い出。
あいつは憶えているだろうか?

5/10/2024, 3:30:17 PM