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Theme:哀愁をそそる

「夕陽って哀愁をそそられるな」
ぽつりと呟いた彼の言葉に少し違和感を覚えて、私は思わず聞き返した。
「『哀愁をそそる』って珍しい表現だね。哀愁って『誘う』とか『漂う』とかって言葉と一緒に使うイメージがあったから、気になっちゃった」
「そうか?特に意識してた訳じゃないけど、『そそる』って言葉が自然に出てきたんだ」
「ふぅん……」
そう言って夕陽を眺める彼の顔は、どこから寂しそうに見えた。

私は帰ってから辞書を引いてみた。気になることがあるとついつい調べてみたくなる性分なのだ。
『哀愁』を使った例文では、やはり『哀愁を誘う』という文が載っていた。
間違った用例ではないのだろうが、『そそる』という表現は少ないようだ。

私は調べる観点を変えてみることにした。
『誘う』と『そそる』はどう違うのだろう。
まずは『誘う』という言葉を調べてみる。『誘う』の項には、類義語として『そそる』も載っていた。確かに二つは似通った言葉だ。ニュアンスが違うのだろうか。
私が引いた辞書によると、『誘う』は「自然とそうなるように仕向ける」という意味合いで、『そそる』は「人に何かを誘発する」というニュアンスだという。
『そそる』の方が、外的要因の作用が強いような印象を受ける。

「哀愁をそそる」と言った彼は、夕陽に何か悲しい思い出があるのだろうか。
気になるが、あの悲しげな表情を思い出すと、問うのも気が引けてしまう。

それから数日後、また彼と夕陽を眺める機会があった。
彼はまたぽつりと呟いた。
「『哀愁をそそる』って言葉が珍しいって言われて、ちょっと考えてみたんだ。なんでこんな気持ちになるんだろうって」
私は黙って続きを待った。
「…ずっと忘れてたけど思い出したよ。小さい頃、当時の親友と大喧嘩したんだ。夕陽のなか、いつも一緒に帰っていた通学路を一人で歩いて帰った。明日、絶対謝ろうって思いながら。でも、あいつは帰りに事故に遭って…」
「……」
「あいつも俺と同じことを考えていたんだろうな。いつもと違う道を通って、川辺に寄っていたそうだ。当時、俺たちは川でガラス石を集めるのに夢中だったから、仲直りのつもりだったんだろうな…後悔したよ。明日じゃなくて今日すぐに謝ればよかったって。夕陽を見るたびに泣いていた」
「……」
「今度の休み、帰省しようと思うんだ。あいつの墓参りに行くつもりだ。そうしたら『哀愁をそそる』って気持ちも薄れるかもしれないから」
「…なら、明日の講義が終わったら、一緒に海に行かない?シーグラス、探してみようよ」
「…そうだな、ありがとう。地元は海がなかったから、珍しがってくれるだろうし」
そう言った彼の横顔は、少しだけ晴れやかになっているように思えた。

11/4/2023, 1:46:30 PM