逆井朔

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お題:好きな本
 こんなお題が出されると、読書好きとしては非常に困る。
 何故なら、語りだしたら止まらなくなってしまうからだ。
 好きな本、それは自分には無数に存在する。一番、とか二番、などと順位をつけるのも難しいくらいに、好きな本だらけだ。
 うーん、何の本の話をしようかな……と、頭を捻ってみるが、いろいろ話したくて仕方がないので、困る。それはもう、非常に困る。しかも、厳密に言うと自分の場合、本、というより作家推しなことが多くて、本を語るというよりは寧ろ、作家ごと本について語る、みたいな感じになってしまう。
 例えば、瀬尾まいこさんの本はどれも心にじんわりと柔らかくて温かなものが沁みてくる作品ばかりで大好きだ。
 高校の頃、書店で『幸福な食卓』がワゴンに山積みになって売られているのを見かけて、直感的に手に取ったのが最初の出会いだった。
 当時はハードカバーの本でも見かければ躊躇なく買っていた頃で、ネットなどで調べたりせず、自分の感覚で本の表紙を書店で見て、これはと思うものを買って読んでいた。今思うと、なかなかチャレンジャーで勇気があるなと思う。お小遣いで本を買っていた子どもの頃は、そういう無軌道な偶然に身を任せるのが好きだった。
 あと、気になるけどどんな作品だろう、というものは、書店で何ページか試し読みをして、これはいけるぞ、と確信をもてたら購入していた。
 『幸福な食卓』は、父親のトリッキーな発言に端を発する作品で、ここからどうなるのだろうとわくわくさせられながら読み続けた。実のところ今となっては作中の展開も結末もおぼろだったりする。
 でも、瀬尾さん作品からは一貫して、読後に「明日からも頑張って生きていこう」と思えるような、柔らかな慈しみや励ましの力を感じているので、多分あの作品も、そういうポジティブなパワーを貰えるお話だったのではないかと思う。
(これを書いていて、久々に読み返したくなってきた(笑))
 最近読んだ瀬尾さん作品で好きなものは『私たちの世代は』『掬えば手には』『その扉をたたく音』『そして、バトンは渡された』などなど。まだ本は読めていないけれど、『夜明けのすべて』は映画を観てきて非常に面白かったので、原作は果たしてどうなっていたのか確かめたいと思っている(けど、そういえばまだ読んでいなかったことに今気付かされた(笑)近い内に読もうと思う)。
 別の作品、作家の話に移ろう。
 社会情勢的に、ロシアとウクライナの戦争など大勢の人が辛く苦しい目に遭い続けていることを思うと色々心が揺れてしまう日々である。そんな中では、自然とスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチさんのノンフィクション小説『戦争は女の顔をしていない』や、逢坂冬馬さんの『同志少女よ、敵を撃て』、『歌われなかった海賊へ』などが胸に深く突き刺さった。これを好き、と言うのは少し違うのかもしれないけれど、作家の方々の丹念な取材や調査、凄まじい筆力によって、戦争を実体験していない自分に文学という形で戦争の様相の凄惨さを切実なまでに伝えてくるもので、大切に何度でも読み直したい珠玉の名作たちだと思う。
 幸いなことにこれまでの人生で戦争は経験していないけれど、新型コロナウイルス感染症による未曾有のパンデミックを経験する中で、生活を制限させられ我慢を強いられること、物資の高騰や不足など、戦時中の方々も経験していたようなことの一部分を体感することができた。その結果、こうした作品への解像度が上がったことも、戦争文学の読書に没頭した一要因であることはまず間違いないだろう。
 他の作品、作家の話に移ろう。
 島本理生さんの恋愛作品がとても好きだ。小手鞠るいさんのものも大学の頃は好んで読んだが、最近はあまり読めていない。ずっと続けて読み続けているのは島本理生さんの作品である。好きな作家はたくさんいるけれど、何度でも繰り返し定期的に読み直す作品は、島本理生さんばかりだ。
 映画にもなった『ファーストラヴ』や『Red』も好きだけれど、何度も何度も読み返すのは『波打ち際の蛍』『わたしたちは銀のフォークと薬を手にして』である。いずれも年に一回、夏頃になると読みたくなって手にしている。どうしてこんなに好きなのか、自分でもうまく言葉にはできないけれど、何度もここに立ち返ってきたくなる作品なのだ。まるてわ心をここにつなぎとめる、錨のような作品たち。多分人それぞれそういう作品は違うのだろう。たまたま自分の場合は島本理生さんのこれらの作品なのだ。
 他の作品、作家の話に移ろう。
(この流れが、本当に永遠に続きそうな気がしてくる……!)
 子どもの頃に何度も何度も繰り返して読んでいて、今となってはもう、ほとんど読み返すことはないけれど、心の中にずっと友達のようにあり続けている作品がある。今年の春に亡くなられた、宗田理さんの作品『ぼくら』シリーズだ。もう、好きという言葉では足りないくらいに大好きで、ぼくらの仲間は自分にとってかけがえのない友だちとして今もずっと側にあり続けている。
 最初に読み始めたのは、あまりに邪道だけれど『ぼくらののら犬砦』からだったと思う。兄の部屋にあったそれをたまたま読んで、そこから興味をもったような気がする。もうあまりに子どもの頃すぎて、記憶がねつ造されている気もしなくはない(でも、多分そうだったはず……)。大人になった英治の姿を見てから、子ども時代に移っていった。
 自分の子どもの頃は、角川書店のぼくらシリーズしか書店には無くて、当然ながら今の可愛い英治たちのイラストが多種多様に描かれたぼくらシリーズは無かったし、英治たちの容姿などはどんなものなのか、具体的には知る由もなかった。
 『ぼくらの七日間戦争』『ぼくらの天使ゲーム』『ぼくらの大冒険』『ぼくらの秘島探検隊』などは実写映画のメンバーが表紙を飾っていて、しいて言うならこれらの表紙写真が英治たちの印象に多少影響していただろうか。いや、でも何となくは参考にしていたけれど、自分の中の英治たちの姿はやっぱりぼんやりとあったように思う。相原は何となくだけど顔立ちは整っていそうだろうなぁ(今で言うなら「塩顔」なのかなぁ)とか、英治はぽやーっとしていそうな素朴であどけない感じの子だろうなとか、純子は昭和のアイドルみたいな感じの可愛い子だろうなとか、そういう何となくのイメージ。絵を描くのは苦手だけど、当時、自分なりの彼らのイメージを絵にしてひとり遊んでいたことがある。
 たくさんの登場人物がいるのに、一人ひとりはっきりと個性が際立っていて、それぞれに魅力があって、ぼくらのみんなと本当に友だちになりたいと当時、すごく思ったものだった。
 思春期なこともありいろいろ捻くれていて(捻くれているのは今もまぁ多少は残っているけども…)、でもそういうものを人に対して表すのは苦手な自分にとって、ぼくらの仲間たちが大人に対して正々堂々真っ向から反抗していく姿は非常に清々しく、格好良く見えたものだ。
 子どもを馬鹿にして舐めた態度をとる「ムカつく」大人を、世間的には「無力で、大人の庇護下にある」はずの子どもたちが知恵と勇気をもって全力でぶちのめす。
 とても分かりやすいジャイアントキリングの構図が、うまく言語化できない大人の日々の抑圧に耐えている身としては、たまらなく魅力的だった。
 宗田さんの作品の、子どもたちへの柔らかなまなざしと、子どもを子どもとしての枠に留めず自由に解放してくれる優しさのようなものが本当に大好きだった。いや、作品を読まなくなって久しいのでこうして過去形で表しているけれど、今も変わらず好きだ。
 それに、宗田さんのこともすごく尊敬している。常に社会情勢を取り入れながら作品をブラッシュアップしていく方だった。最新のガジェットなんかも作品に出てくるし、社会で問題になっていることを即座に作品に反映させているし(なんなら『ぼくらの七日間戦争』だって、安保闘争という少し前の社会であった出来事を反映させていた訳だし)、毎回新作が出るたびに、感性が瑞々しくて若々しい方だなと驚かされ続けた。
 ずっと健康に長生きしてほしいと心から思う作家の一人だった。そういう風に祈りのような気持ちを抱く作家の筆頭だったと言えるくらい、自分にとっては神様のような作家だった。
 毎年新作が出るたびに、そういえばもうすぐ100歳も近いよなぁ、それなのにかくしゃくとされていてすごすぎる…と、畏敬の念を抱いてもいた。
 いつお亡くなりになってもおかしくないと思いながらも、新作が次々に出て、驚かされつつもすごく嬉しくて、さすが宗田さん、と感じていた。
 訃報を知った日、茫然としながら仕事に取り組んだ。信じたくなかった。でもご年齢もご年齢だし、宗田さんが本を出している出版社の方々が軒並み追悼の文章をSNSにあげていて、夢ではないことも分かっていた。
 正直、今も時折悲しくなることがある。もう宗田さんの新作が読めないんだなと思うと寂しくもなる。
 でも、昔のシリーズ作品は内容を覚えるほど読み込んでいるけど、その後に出てきたシリーズ追加作品についてはまだそこまで熟読はできていなかった。だから、新作という形で宗田さんの作品と出会うことはもうできないけれど、まだじっくり読み込めていないぼくらの後発作品を大切に読んでいくことをしていきたいなと思っている。それに、2A探偵局シリーズもまだ読めていない作品が結構あるし、宗田さんの他の著作で目を通せていないものもある(いっちょかみスクールシリーズとか…)。そうして考えると、宗田さんの遺してくださったたくさんの作品がこれから先、新たな友だちになってくれるのだろうなという期待がわいてくる。
 いやもう、このお題、書こうと思うと延々と書けてしまうなぁ……。
 他にも好きな本もとい作家は山ほどある(いる)。浅原ナオトさんや青山美智子さん、伊坂幸太郎さんや今村翔吾さんや宇佐見りんさんや乙一さん(山白朝子さん)、窪美澄さん、辻村深月さんや長岡弘樹さん、中山七里さん、凪良ゆうさん、西尾維新さん、町田そのこさん、三浦しおんさん、宮島未奈さん……全部話したいけど、だんだん打つ指が疲れてきたので、この辺りで一旦やめておく。
 もしかしたら、後でこっそりこの先も書き足すかもしれない。

***
執筆時間…多分一時間以上やってる。
 途中から夢中になっていたから、いつから書いていたかもちゃんと把握していない。
 このテーマは沼すぎる。完全に好きな本などを語りたくてうずうずしている身にとってはある意味毒だ……。
 日常でも小説について語れる友人がたくさんいたらいいのだけれど、生憎そうではないので、もくもくと本を読み、たまにSNSの壁打ちみたいなアカウントで感想を垂れ流している。読書について語れるSNSの友達は二人、執筆について語れる友達は一人いるので、彼や彼女らとたまに語り合うのが密かな自分の楽しみだ(なお、読書と執筆について語れる友達は共通の一人で、つまり、自分がこういうことを語れるSNSの友達は二人だけということになる)。
 当然ながら壁打ちということは反応も取り立ててないので、別に鍵をかけている訳でもないけれど、ただ一人感想を呟いて終わる感じである。孤独だけれど気ままに好きなようにやっている。大勢からフォローされている読書アカウントの方などはやりとりが楽しそうな反面、大勢から常に見られていたり、毎回反応が沢山あって返信が大変そうでもあるので、どちらも一長一短なのかもしれない。

6/16/2024, 4:14:56 AM