白糸馨月

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お題『きっと明日も』

 たまたま出社した日の夕方、ターミナル駅の前で目を引く弾き語りの男がいた。たぶん、年は俺と変わらない。
 それがアコースティックギター片手にお世辞にも上手いとは言えない演奏と歌声を披露している。
 ある者は素通りし、ある者はしかめ面しながら一瞥し、ある者は友達とこそこそ話をしながら彼の前を通り過ぎていく。
 その様子がいたたまれなくて、俺は彼の前に立つことにした。
 そいつは、あまりにも自分に酔っていた。
 今時あまり見かけなくなったいわゆるスーツ着たギャル男風の格好して、髪型もなんだか盛ってて――昔、自分が売れないバンドマンをしていた頃を思い出した。結局、今は夢を諦めてサラリーマンになりさがっている。
 正直、目の前の男よりも俺の方が歌は上手いし、もうすこしマシな弾き語りだってできる。それでも演奏を続けているその姿にスポットライトが当たっていて、まぶしくて、その姿が俺からは強いモノに見えて不覚にも感動してしまった。
 目頭をおさえていると、曲は間奏に入ったようだった。
「へい、そこのお兄さァん! 俺の歌聴いて泣いてるのかい!」
 と話しかけられた。それがなんだか悔しい。
「泣いてねーよ!」
 と叫んで結局、そいつのいわゆる『ひどい演奏』を一曲聴き終えてしまった。
 演奏が終わった後、俺は思わず歩み寄って両手でバンドマンと握手する。
「負けねーで頑張れよ!」
「ありがと! はい、俺の名刺」
 きざったらしい調子で喋るそいつから名刺を渡される。黒字にツタみたいな模様とサインが書いてあって……なんだかホストの名刺みたいだ。
「おう! じゃ、頑張れ!」
 そう言って、俺はその場を後にする。後ろからまたギターの音楽が聴こえてくる。やっぱり下手だ。
 きっと明日も彼はあそこに立っているだろう。
「ま、あいつなら俺みたいに潰れなさそうか」
 そうひとりごちて、帰りの電車の中、名刺のQRコードを読み取ってインスタグラムを見た。自撮り写真ばかりでまた愛おしくなって「あー、五年くらい前俺もこうだったなぁ」と思わず笑いが漏れてしまった。

9/30/2024, 11:45:19 PM