ーけーたいー(何気ないふり)
「おかえりなさい」
懐かしい声が、俺を出迎えた。
「うん」
少し気恥ずかしくて、そっけなくなってしまう返事。
母は何ともなさそうに、
「お父さんにも挨拶して来て」
落ち着いた声でそう言った。
少しだけ長い廊下を進んだ正面に、父の部屋がある。
湿気を含んだ空気と軋む床が、年季を感じさせた。
リフォームなんか当然のようにしていないこの家は、どこもかしこも腐っていた。
いつか下敷きになりそうだと、母に話すのはあまりにも忍びなく。
また、凹んだ床や壁にある傷に思い出があるのだと、
ここに来るたびしみじみ思う。
父の部屋だって、思い出の一つだ。
そこで何度父に叱られたことだろう。
体を泥だらけにして、クラスメイトと喧嘩して。
母はその度に、帰ってきた俺の服から困ったように泥をはらい、
そんな母を見て、父はますます憤慨していた。
あぁ、楽しかったな。
あの頃は。
父の部屋は、当時とまるで変わっていなかった。
しかし確実に埃にまみれてきている。
そして母は、あまり俺がこの部屋を出入りすることを良い目で見ていない。
思うにきっと、あの頃の空気や父の存在を、残そうとしているのではないだろうか。
そろそろ出ようとした時。
ふと目に入った銀色のガラケー。
父のものだった。
―――――
なぜだか持ち出してしまったガラケーを、落とさないように手のひらの中で転がした。
思ったより重い。
DSを見た時のようなわくわく感があった。
母にバレたらどうなるだろうか。
それから自分の部屋に行くと言って、二階に上がった。
意外にも、そのままだった自分の部屋。
片付けるのがめんどくさかったのかもしれない。
とにかく手当たり次第に充電器を探すことにした。
―――――
「これ……」
探し始めてから約一時間後、ようやく見つけ出した。
充電を終わらせ、やっと中を見られるとうきうきして開いたが、
どうやら父はパスワードをかけていたらしい。
誰かに見られることにも無頓着な父だから、パスワードの変更もしていないだろう。
そうたかをくくって、メーカーの初期設定番号を入力したものの、見事に予想は外れていた。
母や父、自分の誕生日や何かの記念日。
思いつく限りのものは入れたのに、いつまでも開かない。
案外適当な4桁だったりして。
俺は父の事をあまり理解していなかったのかもしれないな。
ピロンッ
スマホが鳴った。
会社からの業務用連絡。
そういえば、初めてのスマホは父からだった気がする。
「大事にしろよ」
って、柄にもなく嬉しそうに笑ってて。
連絡先は交換できなかったから、
「俺がそれに乗り換えるまで壊すなよ」
とか言ってたな。
……いや、まさかな。
0401 4月1日
入学祝いで買ってもらったんだ。
だけど当然のように開かない。
見当違いか?
2013 2013年
高校に入った年だった。
確かこれ。
決定ボタンを押すと、数秒の沈黙の後、待受画面が表示された。
ボタンをポチポチと動かす。
写真には案外いろんなものが残っていた。
赤ちゃんだった俺もいる。
ただそれ以外は特に何もない。
そろそろ止めようと思った時に、メールを見ていないことに気がついた。
少々気が引けたが、誘惑に負ける。
メールを開き、受信一覧を眺めた。
「受信」「送信」「未送信」と並ぶ項目の中に、
未送信が一件だけ残っていた。
一瞬、息が詰まった。
それは父から俺に向けてのものだった。
―――――
「じゃあ、また来るから」
「気をつけてね」
見送られて家から出る。
お母さんの笑顔が、胸に刺さった。
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あなたはガラケー世代でしたか?
おやすみなさい。
3/31/2026, 9:38:56 AM