【飛べない翼】
小学校の中学年くらいから、ハルトは父親の仕事の関係で関西地方に引っ越すことになった。
当時、ハルトには好きな子がいて、彼女と離れ離れになるのが嫌で嫌で仕方なくて、それはもう連日ゴネにゴネた。普段あまり感情を表に出さない、ぼんやりとした性質だったため両親は非常に驚いていた。驚いただけで粛々と転勤の準備は進められていたけれど。ハルトの抵抗虚しく、関西人ひしめく小学校に転校させられしまった。
言葉遣いでいじられることはあったものの、ハルトはそこそこうまくやっていくことができた。ハルトは自覚したことがないけれど、どうやら綺麗な顔に産んでくれた親のおかげらしい。
(それが何を意味しているのか、今でもわかっていない)
それでも、話は別なのだ。ハルトにとって価値があるのは地元に置いてきてしまったあの子の存在だけだ。
義務教育とは、子供とは、なんと無力なのだろう。500km以上離れた場所へ戻るのは、当時のハルトには到底無理な話だった。
キッズケータイも手紙も、何も役に立たない。悔しくて悲しくて、連絡先を何一つ聞き出せなかったからだ。アホか。
せめて高校くらいは地元に戻ってやる。寮でも一人暮らしでもいいから、あっちの学校を受けよう。勝手にそう決めて、勉学にスポーツにと励みまくった。成績は割と良い方で、周囲の大人によく褒められた。友人たちとは割と疎遠になってしまったが、特に気にならなかった。
……ただ、中学の真ん中で、あっさりと地元に戻ってきてしまった。ハルトの努力とは。意気込みとは。大人は本当に勝手だと、もはや怒りすら湧かない。
「誰だっけ」
「……、さあ、誰やろな」
ありがたいことに、同じクラスにナガヒサがいた。ナガヒサはトワの弟で、当時よくわからないなりに一緒に遊んでいた相手だ。
数年ぶりに再会したナガヒサはこれでもかとデカくなっていて、同年代に比べてかなりの長身のハルトより目線が上だった。顔つきはトワによく似ているから、勝手な想像が膨らんでいく。きっときれいになっているはずだ。
空き地だった場所は住宅地になって、よく行っていたコンビニは歯医者になっていた。駅前はやけに賑やかになっていたし、街の様相はかなり変わったようだ。
そんな中、ハルトは黙ってナガヒサの後をついていく。
「さっきから何だよ、ついてくんなよ」
「ええやん、お前に用ないし。はよ姉ちゃんに会わせろや」
「は、ふざけんな。てかテメェ誰だよ」
「誰でもええやん。お前には関係ないわ」
今にも噛み付いてきそうなナガヒサに適当に相槌を打っているうちに、目的地に到着する。何度か訪れたことのある家は、ぼんやりと記憶に残っていた。庭に転がっている犬のおもちゃを見て、ああたまに3人で散歩に出かけたなとふと思い出した。
「うわ、今日帰ってくんの早くない?」
背後からかかった声に、真っ先に身体が反応する。ゾワッと鳥肌が立った。震える膝を悟られないように、くるりと向きを変える。
「うっせえバーカ!」
「はっ倒すぞバカ弟!」
ジャージに身を包んだトワがぎゃあぎゃあとナガヒサと言い合っている。
ショートカットだった髪は伸びていて、後ろでひとつ結びになっていた。身長はハルトの胸より少し下くらいだろうか?記憶の中のあどけない子供だった姿は鳴りを顰めて、随分と大人っぽくなっている。なにより、目を引いてしまったのが、ジャージの上からでもわかる胸の膨らみだ。
どうしよう、めっちゃきれいになっとる。
想像の5億倍、トワはかわいくてきれいになっていた。何度も何度も夢に見て、勝手に想像して、少しだけ慰めてもらったりとあったけれど、そんなものの比ではない。
「……本物のお姫さまやん」
「ああ!?んだテメェさっきから、帰れ!」
思わず口から溢れた言葉に、すかさずナガヒサが突っかかってくる。今も昔も血の気が多いやつだ。
「あれ、……あれでしょ、ほら、ハルトくん。久しぶり。めっちゃ大きくなってんね、全然わかんなかった」
「お、お姫さん、俺のことわかるん?」
「お母さんから帰ってきたって聞いたよ。てかおひーさんって何?」
白い頬を上気させて、トワはハルトに笑いかける。それだけでいろんなものが込み上げてきて、ハルトは息を詰まらせる。涙の膜のせいで視界がぼやけた。
思わず両手で彼女の肩を掴んでしまった。抱きしめたら折れてしまいそうな薄さに、ハルトはさらに感極まってしまう。
「ウッ……お姫さん、ずっと会いたかってんで……」
「離せや変態!」
ナガヒサに突き飛ばされる形でハルトはトワから離れてしまう。ただそんなことは微塵も気にならなかった。追い打ちをかけるように、ナガヒサにどつかれ続ける。けれどそんなことは全く気にならなかった。
だって目の前に、大好きなトワがいてくれるのだから。多少肩やら背中やらが痛くても、そんなのは蚊に刺されたようなものだ。
「なんかよくわからないけど、これからもバカ弟と仲良くしてね。こいつ性格悪すぎて友達いないし」
「は!?」
「……お姫さんが言うならしゃーないわ、仲良くしたる」
「ありがとー、また今度改めて遊びに行こうね」
「行く」
「おい、俺の話聞けよ、こいつ誰なんだよ!」
無事再会を果たし、ついでに連絡先の交換と遊ぶ約束も取り付けたハルトはほくほく顔で帰路についた。不思議と足取りも軽い。
もはやハルトの頭の中は「結婚」の二文字しかなかった。
※※※
登場人物
ハルト:美男子。中途半端な時期を関西圏で過ごしたため、中途半端な関西弁を話すようになった。万物に対しての興味関心が薄く、感情表現も乏しい。トワが大好き。
ナガヒサ:ハルトの同級生。どうしようもないレベルのシスコン。中学に上がり素行はマシになった。
トワ:ナガヒサのお姉ちゃん。日々弟に振り回されている。ハルトに対して淡い想いを抱いている……かもしれない。
11/11/2024, 2:54:52 PM