「そして少女達はいつまでも幸せに暮らしました。ですのね」
ほぅ、と水色の振り袖を纏う妖は吐息を漏らし、頬を染める。
一つの物語の結末を、彼女はめでたしめでたし、で締め括った。
「物好きね。そんな大層な言葉で締め括るなんて」
語り終えた緋色の打掛を羽織った妖は冷めた目をして呟いて、懐から煙管を取り出した。
「此処は火気厳禁ですよ、炎」
「あぁ、そうだったわね」
窘める言葉を軽く返し、おとなしく煙管を懐へと戻す。
口寂しさはあるが、出て行くほどではない。
常より気怠さを隠そうともしない緋色は、欠伸を一つするとごろりとその場で横になった。
「お行儀の悪い事ですね」
「あなたに強請られて態々訪れたのだから、これ位は許してもらいたいものねぇ」
「それは、そうですけれど」
不満そうに頬を膨らませ、水色は袂を振る。
端が解け、それは上質な紙となり筆となり。さらさらと書き付けられていく文字が、墨が乾けば巻物として閉じられて。
全てを書き終えたらしい紙や筆が袂に戻り。先に仕上がっていたいくつかと新たに仕上がった巻物は一つに纏まって、形を揺らめかせて一冊の本へと姿を変えた。
その本を手にし胸元で抱いて、狡い方ですね、と小さくぼやいた。
「わたくしが炎の話を好んでいる事は知っているでしょうに。そのように言われてしまえば、何も言葉に出来なくなってしまいます」
「静かになっていいじゃない。この話は目出度い話ではないのだから」
横になったまま、緋色は素知らぬ顔で目を細める。常と変わらぬ気怠さを纏いながらも、どこかもの悲しさを醸し出していた。
「一つの話が幸せなまま終わったからと言って、話の中の人間達がすべて幸せではないわよ。それに終わった話のその先が、必ずしも幸せにある訳ではないでしょうに」
「それは分かっています。物語の裏には、哀しい別れや報われない思いがあるという事は。このお話もそうでしたし」
本を手にしたまま立ち上がり、水色は近くの書架に本を収める。背表紙を指先でなぞり、分かっています、と言葉を繰り返した。
「全てが報われるお話など、それこそ本当の絵空事でしかないですもの。失ったものは戻らず、死した者が還る事もない。炎の視て語る話は、本物なのですから」
困難を乗り越えて望みを果たした者。過去から未来へと歩み出した者。
めでたしめでたしで終わった物語のもう一つ。その裏で悲願を叶える事の出来ない者がいた事を、水色はよく知っている。
人が人である限り、全ての願いが叶う事などないのだから。
「だからこそ幸せに終わったお話を、わたくしは尊いと感じるのです。今回のお話は特にそう。いつまでも幸せに、で締め括る事が相応しいと思えるほど素敵なお話でした」
頬を染め、話を思い返す。
そんな水色を呆れたように、冷めた目で緋色は見遣り、馬鹿ね、と吐き捨てた。
一つの終わりを迎えた話の先が不変であるはずがない。
どんなに願い思った所で、終わりのない平穏は虚妄だ。
「一つ話をあげましょうか。願いを叶え望みに応えた少女は、束の間の平穏すら享受する事なく人ならざるモノの世界へと誘われるのでした」
「っ、随分と酷い事を言うのですね」
「酷くはないわ。本当の事だもの」
短く息を吐き、緋色は立ち上がる。
気怠さは消え、剣呑な鈍色が煌めいた。
「戻るわ」
「分かりました。それではまた」
水色の言葉が終わらぬ内に、緋色の姿は煙となって掻き消える。
その姿を見送って、水色は物憂げに目を伏せた。
「まさか、坊やに呼ばれるとはねぇ」
薄暗く狭い部屋。
姿を現した緋色は、目の前の剣呑な表情を浮かべる男に対して艶やかな笑みを浮かべて見せた。
「聞きたい事がある」
「何かしら」
予想はつく。
この部屋からなくなったもの。足りないものがある。
見間違いであればよかったはずの事だろう。
緋色の言葉に男の表情はさらに険しく、その金の瞳は鋭くなる。
「黄櫨《こうろ》の躰は何処だ」
あぁ、やはり。
胸中で溜息を吐きながらも、緋色の表情は変わらず笑みを浮かべたまま。男の四肢に繋がれた縄が、男の感情に合わせて揺らめくのを視界の隅に捉えながら、伝えられる一つを口にした。
「坊やはあの娘を置いていくべきではなかったのよ。アレのいる場所に」
それだけですべて伝わったのだろう。
男の目が僅かに見開かれる。
「あの化生の屋敷か」
「いくら代わりがいれど、呪の塊でしかない娘を逃しはしなかったというだけの事。堕ちても元は守り神とされた妖よ。縁を辿れば、神域に潜り込むくらいは出来るわ」
緋色の言葉に、男の表情に苦々しさが混じる。それを気にせず緋色は淡々と見えたままを紡いでいく。
「屋敷に戻って閉じてしまった後の事は見えないわよ。あそこに煙はないもの」
「戻ってはいるのだな」
「えぇ、そうね。施された封印は強固だから喰らうにしても、他に何かに使われるにしても、すぐにはどうこう出来ないでしょうけれど。見えないのだから所詮は臆測でしかないわよ」
そうか、と男は短く答え目を閉じる。
揺らぐ縄が次第に動きを穏やかにし、姿を霞ませていく。そしてそのほとんどが見えなり、男の剣呑さも鳴りを潜めた頃、再び男は目を開いた。
「礼を言う。急に呼び出してすまなかった」
「過去が見えないのも不便なのね。気にした事もなかったけれど。まぁ、退屈しのぎにはなったわ」
ひらりと手を振り、香の煙を身に纏わせる。
そうして姿を煙と同化させ、戻る間際にふと思い出す。
「アレがまだ守り神をしていた頃を考えると、呪を求める意味に予想はある程度つくわ。藤白《ふじしろ》を探しなさい」
それだけを告げて、香の煙と共に霞み消えた。
20241030 『もう一つの物語』
10/30/2024, 11:48:24 PM