『君と見た景色』
いくつの戦場をともに駆けたのか。
いったいどれだけの敵を倒したか。
ともに手を血で汚して、神さえも我々を救わないだろうと皮肉に笑った顔をいまも憶えているのに。
(おまえに仕えたことはいまも私の誇りだ)
甲板に立ち、夜叉姫と称された女は陽の沈む水平線から眼を逸らした。銀色の髪がいまだけは朱かった。
一年前の海戦で彼女は上官を喪った。上官であり、夫でもあった男を喪った。陽気な男だった。彼が悲観を口にしたところなど見たこともない。――いや、あの海戦を前にして、珍しく気弱なことを零していた。あれは彼の予感だったのだろうか。
(どうしたらおまえを手放さずに済んだのか)
夜叉姫は幾度も思った。幾度考えたところでそんな道はなかったのだと思い知るばかりだった。避けられない戦だった。将をほかの者とする手だてもなかった。そして、勝算のない、戦いだった。
海に酒をそそぐ。
彼と――夫と見た景色の半分は戰場の光景だった。
見たかったのは、もっと、別の景色だった。もっと普通の夫婦として見られた地平はあったはずなのに。
「まだそちらには行けそうにない」
落ち着いた声音で彼女は囁いた。
あの日、泣き喚いた女もまた自分であった。
「だから、もうしばらく待っていてくれ。私を、護っていてくれ」
見たかった景色は、見てきた景色ではなかった。
そしてこれから彼女が見るだろう光景は、いまやひとりで見るほかにない景色なのだ。
「またいずれおまえと酒を呑みたい。煉獄ででも、いいから……」
女は微笑んだ。死によって分かたれた伴侶。
神は私たちを救わない。
だがそれでもいい。充分だ。求めるは神の在る場所ではない。
(おまえの魂の墜ちた場所が、私たちの楽園だ)
陽が、沈む。
朱い波が黒い海にのみこまれていく。
波は穏やかだった。
3/21/2025, 11:04:05 AM