愛した人が遺した指輪をのみこんだ。
ないはずの熱が蝕んで脳をちりちりと焦がす。大切なものが掠れた感触を忘れたくなくて、喉仏を抑えて欄干に凭れかかる。春の風が耳の裏を撫で上げた。
手を繋ぐとくすぐったそうに笑う人だった。離さないように指の付け根まで握り込むと熱の籠もった指輪が食い込む。その存在が震えるほどに心を満たして、緩む表情筋を隠すことにどれだけ苦労したことか。けれどそれすら掬い上げて、柔らかな微笑みを浮かべる彼は金木犀のような香りがした。
三日後の朝、彼は亡くなった。
甘い香りが満たされた部屋。開ききったベランダから誘われる花弁は残骸のように横たわる。ゆらゆらと広がるカーテンの影は透き通って、夢のようだった。
取り残されて、もう藻搔くことに疲れてしまった。心の澱は積もって息の根を奪う。綿毛のように掴みどころがない彼もとっくに息が出来なかったのだろうか。
薄く笑って涙が薄い膜を貼った。視界はこんな時ですら、彼の影をうつすことはない。乗り越えた欄干と向かい合う。背には大空が広がっていた。澄んだ蒼が染みて瞼が痙攣した。
ふわりと風が舞い上がる。視界の端にゆったりと流れる花弁を握り潰すように瞼を閉じて、束の間の夢から落ちていった。
1/7/2023, 10:38:51 AM