人の気配がしない道を、一人歩く。
普段は人通りの多い道だが、誰もいない光景に恐怖を感じてしまう。
まるで黄泉の国に来たかのようだ。
悪夢でも見ている気分だが、草履から伝わる感触がこれが夢でないと教えてくれる。
人がいない理由は単純明快。
まだ夜明け前だから。
朝早くから外に出る人間なんて私くらいだろう。
まあ、目が冴えて眠れないから散歩しているだけなのだが……
そんな自虐をしながらブルリと体を震わせる。
暦上は春なのだが、まだまだ寒いのだ。
もう少し厚着をすれば良かったかもしれない。
空はまだ暗闇で覆われているが、ほんのり明るい。
きっともう少しで日が昇り、大地を暖めてくれる
その頃にはこの道にも人通りが増え、活気に満ちるはず。
そして元気いっぱいに子供たちが走り回るのだろう。
元気と言えば、私の使える主人は最近元気がない
あの方は笑顔が似合う。
だからどうにかして元気付けたいのだが、何も方法が思いつかない。
一応、足掛かりになりそうなものはあるのだ。
以前、主人から高価な紙の束をもらった。
これに何かを書いたら面白そうなのだが、書くことがなにも思いつかない。
自分の発想の貧困さに、自分が嫌になる。
そしてあの方は博識だ。
中途半端な物を書いても喜ばれないだろうという確信が、私の手をさらに重くさせる。
もしかしたら、何を書いても喜ばれるかもしれないが、
私はなにも良い案が思いつかないまま、家へと戻る。
空を見上げれば、出かけた時よりもさらに明るくなっていた。
もう少しで日の出だろう。
せっかくなのでと、来光を見ることにした。
特に興味があるわけでもないのだけど、なんとなくそんな気分だった。
私は近くにあった手ごろな石に座り、東の山をぼんやり眺める。
東の山は暗闇に溶け込んでおり、空との境界がぼやけていた。
だが時間が経つにつれ、段々と山と空の境目がだんだんと白く。
まるで生命を吹き込まれるように、次第に輪郭がはっきりしていく。
山にかかる雲も、太陽の光を受けて紫がかり、横になびいていた。
その光景がなんとも美しい。
あの方も、この景色を見ればきっと元気を出されるだろう。
どうにかしこの事を伝えることは出来ないのだろうか……
あ!
私の頭に天啓が下りる。
そうか!
『これ』を書けばいいんだ!
私はまっすぐ自室に戻って、主人から頂いた紙を引っ張り出す。
少し埃を被っていたが問題ない。
早速執筆にとりかかる。
このまま書いても無残な文章が残るだけかもしれない。
それでも今、心の中でたぎるこの想いを、紙にぶつける。
その文が主人の心を動かすと信じて……!
先ほど見た美しい日の出を思い出しながら、私は最初の一文を書く。
「春はあけぼの」
9/14/2024, 3:59:06 PM