月明かりの夜(オリジナル)(異世界ファンタジー)
目覚めたら依頼人がいなくなっていた。
山小屋の床に昏倒していたラッツは、飛び起きてすぐさま外に飛び出した。
降雪は止んでいた。
満月の月明かりが雪原を照らしている。
山頂に向けて、足跡が続いていた。
ラッツは雪原を駆けた。
今回引き受けた依頼は、死者と会えると噂の、この山への同行だった。
依頼人はまだ年若い夫婦で、少し前に幼い子供を亡くしていた。
妻の方が精神的に参ってしまい、藁をも掴む思いであったらしい。
山頂直下の山小屋に到着し、雪が止むのを待つ間、ポツポツと話を聞いていた。
娘は10歳で、何者かに乱暴されて殺されたそうだ。
犯人はまだ捕まっていないらしい。
病んだ妻は瞳を凄惨にギラつかせ、
「だから、あの子に会って、犯人を教えてもらうんです」
と言った。
夫は驚いた顔をして、
「犯人がわかったところであの子は戻ってこないだろ」
と、暗い声で言った。
「そんな事はわかっています!でも、犯人がのうのうと生きている事が許せない!あなたはそう思わないの?!」
ヒステリックにそう叫んだところで、妻は何かに気づいたように、唐突に窓に駆け寄った。
「ニナちゃん!!」
「?!」
「やっぱりニナちゃんだわ!待って!」
妻の動きは速かった。ラッツが制止する間もなく、扉を開けて外に飛び出して行った。
「奥さん!待っ」
て、と続けようとしたところで後頭部に衝撃が走り、ラッツは気を失ったのだった。
(クソッ!あのタイミングでこのザマって事は、犯人は夫じゃねぇか)
山小屋には夫婦とラッツしかいなかった。
妻が飛び出したのを制止しようと動いたラッツの背後には夫しかいなかったのだ。
気も力も弱そうな男だったので油断した。
まばらな木々を抜けて斜面を駆け上がっていくと、遠くに人影が見えた。なぜか夫が妻を背負って山頂に向かっているようだった。
「待て!」
ラッツが遠くから声をあげると、夫は気づいて足を速めたが、途中で諦めたらしい。山頂のやや広くなった場所に到着して妻を下ろすと、ラッツを待った。
その身体から殺気が溢れている。
3歩ほどの距離をあけて、ラッツは立ち止まった。
「お前が犯人なんだな」
「ああ!そうさ!」
そう言うと、夫はラッツに飛びかかった。
素人よりは冒険者のラッツの方が戦闘経験が多く、油断さえしなければ余裕で勝てるはずではあるが、慣れない雪に足をとられ、思うようにはいかなかった。
「お前、奥さんをどうするつもりだったんだ」
「そんなもの決まってる!山頂から落ちて事故で死んでもらう!お前もな!」
「させるかよ!っとと」
「死ね!」
腕を振りかぶった夫が、そこで急に固まった。
「?」
「あ…あ…ニナ?…本当に?」
彼はラッツの後ろに目をやり、ガクガクと震えていた。ラッツは振り向いたが、そこには何もなかった。
しかし、夫はジリジリと後退る。
「嘘だろ…やめろ…やめてくれ」
夫は虫を振り払うかのようにブンブンと両手を振りながら、さらに後退る。
「うわあああああ!!!」
ついに、ラッツに背を向けて山頂に向けて走り出した。何かに追われているように。それから逃げようとするかのように。
そして、地面に見えていた雪庇を踏み抜き、
「あああああぁぁぁぁ」
谷底に落ちていった。
死者と会える山。
ラッツには何も見えなかった。
ふたりは本当に死者と会えたのか。
あるいは、あの男のように、己が死者となって、死者に会いに行ける山だったのかもしれない。
ラッツの会いたい死者には、少なくとも、生きたままでは会えないようだ。
ラッツは小さくため息をつくと、意識を失っている妻を背負い、山小屋に戻るべく歩き始めた。
冴え冴えとした月の光が、まるで何事もなかったかのように、静かに雪原を照らしていた。
12/26/2025, 4:38:21 PM