「あらあら、これは不幸な……」
ここは魔法の世界。男は家に帰ってきた女を玄関へ迎えに行った時、全身ずぶ濡れ。顔にかすり傷を作り、白い服は泥が付いている様だった。そんな彼女はムスッとした顔でつったてっている。
「道歩いてたお婆さんが、傘の取っ手を下にして持ってて」
「はい」
男はなんとなく察しがついた。だが下を向いている彼女は相当腹が立っているようなので、黙って彼女の話を聞く。
「歩き出そうとしたんだろうね。踏み込んだ時に傘を後ろに振り上げた瞬間私の顔に当たった」
「それはそれは……災難でしたね」
「今日はついてない日」
彼女が足をパンパンと叩くと、靴が勝手に脱げて靴は歩いて自分の定位置にひとりでに歩いてゆく。
「その泥だらけのお洋服はどうなさったのですか?」
スリッパに履き替えた彼女は、彼の手をちょんっとつかみ歩き出す。この方向は恐らく浴室。
「転んだ」
「それは痛かったですね。ほら、浴室。着きましたよ。扉の前で待ってますから。早く着替えていらっしゃい」
そういって彼女を送り出した彼は、湯冷めすると困ると思い、今朝作ったスープを温め直そうとキッチンに向かう。
そして指一振りすると、コンロと暖炉の薪に火がつきコトコトと鍋が歌い出す。他にも、彼女のためにひざ掛けを用意していた頃。
「そういえば---さん、タオルと着替えを準備していなかったような」
男はそういって指をひゅひゅひゅと横に動かす。すると彼女の部屋からは彼女のお気に入りのルームウェアが、タンスからはふわふわのタオルが、空を泳ぐように浴室へ向かい出す。そして彼はコップに氷と水を注いで今頃湯船に浸かっているだろう彼女へ、こっぷを台に置き煽るように手をかざすとそれは消えて彼女の元へ旅たった。災難な1日を、ほんの少しでも良くなりますようにと願いながら。
それもあるが元々彼は彼女に甘い。
もう至れり尽くせりだ。
「お昼は食べたのでしょうか」
そう呟くと彼は昼ごはんの彼女の好物であるピザを焼き始めた。彼の周りには様々な調理器具や材料がふわりふわりと浮かんでいる。
***
しばらくたった頃、彼女が彼の名前を呼ぶ。
彼はハッとする。彼女は泣いていたのだろう。目が真っ赤に腫れていた。
「お風呂、温めてくれたの、ありがとう」
彼女は言葉を続ける。
「他にも、タオルとかお水も。……料理まで」
彼はそんな彼女を見ていて、元々あった愛おしさがもっと強くなる。
「いいんですよ。きちんと温まれましたか?」
彼は入口にいる彼女に近づいていき、彼女の手を取ってダイニングへ連れていく。そこに用意されていた料理を見て、彼女は鼻をずびっと一鳴らしした。愛おしそうにその様子を見ている彼は、彼女の後ろに回りこみハグをした。すると彼女は彼の腕に顔を埋めて顔を拭う。別に涙がつこうが関係ない。むしろどんどんつけて欲しい。
「本当にありがとう。……今日がいい日になった気がする」
「さ、ピザを食べましょう。カリカリでチーズが物凄い伸びる特製ピザです」
***
昼ご飯を食べたあと、2人は出窓のベッドで横になっていた。彼女はすよすよと寝ているが、彼はそんな彼女を愛おしそうに肩を抱き、本を読んでいる。キッチンではカタカタと魔法で食器を洗っいる音がする。すぐ横の窓に彼が目を向けると、外には虹がかかっていた。彼は彼女の額に指を当て、優しいまじないをかけてやる。
「どうか、これからも2人で幸せに生きていけますように」
と。
そして彼は目を閉じ、安らかに寝息をたてはじめた。2人で一つのブランケットが、2人の幸せを体現していた。
***
「私はもう幸せよ。沢山の愛をありがとう」
彼女は眠っている彼に頬を擦り寄せる。温たかなまじないを受け、今日はいつも以上に至れり尽くせりで。最悪な1日がとても幸せな1日になってしまった。
彼女は彼の頬にキスを送り、再び眠りにつく。
「彼の人生に幸在らんことを」
11/28/2023, 7:12:54 AM