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お題は「三日月」。

 正直、満月と三日月、どっちが好きかと言われたら、満月だ。普通に満月。「三日月が好きだ」って言いたい気持ちはある。どんな時も、不完全なもの、か細いもの、主役ではないものの味方でありたいわたしではある。でも自分に嘘はつけない。圧倒的に満月の勝ち。だって綺麗じゃないですか。月、って聞いてまず三日月を思い浮かべる人がいますか?絶対満月じゃないですか。
 そんな自分に悔しさを感じないではない。松任谷由実も言っていた。「14番目の月が好き」と。満月が好きなんてありきたりなこと言っても面白くもなんともない。詩にならない。でも私はやっぱりどうしたって 満月が一番よいと思ってしまっているから、詩人になるには嘘つきになるしかない。残念ながら、メンタルヘルス的に、いまは嘘は控えたい。いまはそんなわけで、月に関しては、満月が好き、という結論に、甘んじたい。

 永野は「ゴッホより普通にラッセンが好き」と叫んで売れたけど、永野は別にただ正直者なわけではなくてそういう身も蓋もないことを叫んだ時のインパクトの強さを計算してやっている。「三日月より普通に満月が好き」といまさら私が叫んだところで面白くもなんともない。つまり私の満月がよいというありきたりさには逆張り的な生産性すらないのだが、メンタルのことを考えると、そんな生産性のないありきたりさを受け容れるのが一番なのだからそれでいい。メンタルが一番なのだから。

 三日月なんてのはどうせあれだ、サブカルだ。逆張りだ。食うには困らない連中のお遊び。お遊び月。虚(きょ)月。欠けてる方がかっこいいみたいに思えるのは相当幸福なことだと思わなきゃいけない。綾波レイが眼帯してるのと同じ感性。

 これは月全体に言えることだけど、なんか文学的なことを書かせようとしてくるのが非常に不快。三日月は特にそう。感傷的な気分にさせてくる。うっかりしたら喩えてしまいそうになる。あんなん、浮かんでるだけ、照らされてるだけ。月は多分醜形恐怖症で、メタファーを纏ってないと落ち着かないんだと思うけど、おれはそんな手には乗らない。何も思わずに、ただただ三日月を、三日月そのものとして見てやるんだ。喩えない、懐かしまない、遠くの恋人を想わない、浸らない。ただのめちゃくちゃでかい土くれ、それに反射してる光としてみる。そして言う。「綺麗だよ」「メタファーなんかまとわなくても、綺麗だよ」「すっぴんが一番かわいいよ」「あばたもえくぼだよ」三日月は困惑する。そんな男は初めてだと思う。おれのことが気になり始めるかもしれない。などと、気づいたら喩えてしまっている。





・月を人で喩えると
・「月が綺麗ですね」=「I Love You」のやつ
・絢香の「三日月」
・月を見るようになったのはいつ頃からか
・「月が綺麗」っていうとき想定されてるのはだいたい満月。
・伊達政宗

・お月見ってしたことない。実際にやる人いるのか?「お月見はマストっしょ」って人いるのか?
・月見バーガー

1/9/2026, 11:41:02 AM