僕は彼に温室に来て欲しいと言われた。
「どうも、お世話になっております」温室の入口に立ってそう言った。
「どうも」彼は不機嫌そうにそう言った。顔の深い皺と老眼鏡がお互いを引き立たせていた。
「それで、要件はなんでしょうか?」
「不思議なことなんだがね、最近うちの温室の鉢植えが勝手に消えてしまうんだ。朝に水をあげようと見てみると、明らかに1つか2つ減っていってるんだ」
「なるほど、鉢植えが消えてしまうんですね。何か心当たりとかはあるんですか?」と僕は尋ねた。
「何かが起こっているのは夜に違いない」重要な宣言をするみたいに、ハッキリとした口調でそう言った。
「私は基本的に起床してから、就寝するまでのほとんどをここで過ごしている。何かが起こっているなら、夜に違いない」
「なるほど」と僕は言った。
「それでだ。夜っていうのは、老人とは相容れない時間帯なんだ。私たちは死に近づく度に、徐々に世界から追い出されてしまうんだ」彼はガラス窓に反射する陽光を手で抑えながらそう言った。
「そこで君には、夜の温室を見張っていて欲しいんだ。君の歳じゃあ、ヘマを犯さない限り、まだ世界に受け入れられてるはずだ」と彼は言った。
「分かりました。夜の温室の中で鉢植えを見守っていればいいんですね?」と僕は言った。
「そうだ」と彼は言った。
「早速、今日の20.00から頼むよ。急だとは思うが、それが君の仕事で、私は対価を支払っているからね」
「もちろんです。早速今日から見張らせてもらいます」
3時間ほど屋内で雑務を行い、20.00の時間を確認して温室に向かった。
夜の温室は幻想的だった。室内に入ると、人感センサーが反応し、等間隔に置かれているスポットライトがくっきりとした光の筋を放った。暗闇という大きな力に、勇敢に立ち向かうような力強さを帯びた光だった。少し歩くと、デッキチェアがあり、そこに腰をかけ鉢植えを見守った。
30分ほど経ったころ。暇つぶしに本を読んでいた時、視界の端で何かが動いたような感じがした。ガサガサ、ごそごそ。明らかにそこには何かがいた。心臓が急激に早く動き、頭が少しクラっとした。唾を飲み込むと、その音はスピーカーを通したように大きく響いた。おそるおそる、横に置いてあったライトを持ち、その何かを照らしてみた。
そこには、透明の膜のようなものが渦巻いていた。僕にはライスペーパーがヒラヒラ踊っているように見えた。あれは、風だ。僕が今まで見たどの風とも違うが、直感的にそれは風であるということは分かった。風が鉢植えを奪いさろうとしているんだ。でも何故だ?どうして、風が鉢植えを取らなくちゃならないんだろう。それに、温室の窓は閉まっている。風の通り道は無いはずだ。
風は私には気づかず、鉢植えを持ち上げ、そのままどこかに去ろうとしていた。
どうにかしないといけないとは思いつつも、僕の頭はとっくに容量を向かえていた。まあいい、僕の使命は鉢植えを守ることでは無い、原因を追求することだ。申し訳ないとは思うが、どうにかその鉢植えには風と仲良くやって欲しい。
風が去るのを待ってから、僕はその風があった場所を目で捉えつつ恐る恐る温室を出ていった。
外の冷えた空気を吸い、呼吸を整えた。思い返すと、あれは僕が見た夢だったのでは無いかという気がしてきた。しかし、外からガラス越しに温室の内側を見てみると、確かに鉢植えは消えていた。まるで、カッターでくり抜かれたかのように不自然にそこにだけが空いていた。
まあいいさ。よく分からないが、あのモヤモヤが風であったことは分かる。果たして、今までの消えた鉢植えもそうだったのか、今回だけ風が請け負ったのかは僕の知るところではない。常習犯かどうかなんてのは分からないし、明日は風のいたずらとだけ報告しておこう。
1/17/2025, 2:06:30 PM