sairo

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くしゃみを一つ。
冷えた指先を温めるように息を吐けば、少し離れた場所にいる彼と目が合った。
彼を取り囲むように浮かぶ、いくつもの火が消える。一つ遅れて彼の姿も消え、次の瞬間には目の前に現れた彼に抱き竦められた。

「悪い。少し楽しくなっちゃった」

謝る声は、楽しげに弾んでいる。それに文句を言いかけ、意味のない事かと思い直す。小さく息を吐き、人よりも高いその温もりに擦り寄り、目を閉じた。

彼には自由が似合う。
初めて会ったその時から、彼の印象は変わらない。
神出鬼没で、何にも縛られず。形を変え、数すら変える、不思議な火。
どこまでも自由な彼に憧れて、差し出された彼の手を取ってからもうどれだけの時が経ったのだろう。

「じゃあ、そろそろ行くか」

離れ差し出された手に右手を重ねる。手を繋ぎ歩き出す道先にいくつもの火が現れ、暗がりに迷う事はない。
ゆらゆらと火は揺らいで、二つに分かれて一つに戻って。
思わず手を伸ばせば、触れる瞬間に消え、離れた場所に現れる。別の火が伸ばした手の周りをくるりと回り、いくつもに別れて離れていった。
まるで小さな子供達が遊んでいるようにも見えて、くすくす笑う。繋いだ手が態とらしく揺らされて、弾む気持ちで彼を見上げた。

「どうしたの?」
「また楽しくなってきちゃったから、手繋いでるの忘れないようにって」

離れて、風邪を引かせないように。
思いもかけない彼の言葉に、目を瞬く。

「星を見に誘ったのに、星見る前に風邪を引かせたら、つまらない」
「確かに」
「それに、今だけだからね。こうしてくっついても、文句を言われないのは」

にぱっ、と彼は笑い、繋いだ手を引いた。
突然の事に抵抗も出来ず、そのまま彼へと倒れ込む。ぶつかる寸前で抱き上げられて、その一瞬の出来事に理解が追いつかずに身を捩った。

「こら、危ないよ。落ちちゃったら怪我をする」
「ごめん?」
「気をつけて。歩くよ」

機嫌良く歩き出す。けれどいつもの跳ねるような歩き方ではなく、とても静かだ。
落ちる不安がなくなって、強く掴んでいた彼の服を離し、彼を見る。ようやく理解が追いついて、文句代わりに彼の頬を軽くつまんだ。

「痛いよ」
「痛くしてない。急には止めてって、何回も言ってるのに」
「思いついちゃったんだから、仕方ない」

いつもの事だよ、と言われれば、いつもの事だな、と納得してしまう。
思いついて、直ぐに行動に移す。今日もそうだった。
急に現れて、手を引かれた。星を見に行こうと、とても嬉しそうに。
止めなければ、部屋着のままこの寒空の下に連れられる所だったのを思い出し。少しだけ彼の頬をつまむ手に力を込めれば、彼は痛いよ、と楽しそうに笑っていた。

「今夜は特に空気が澄んでいるから、星がよく見える。もうすぐ着くよ」
「どこに行くの?」
「まだ秘密」

上機嫌な彼に合わせて、周りの火がゆらり、くるりと動き回る。楽しみだ、と気持ちが伝わって、頬をつまむ手を離し仕方がないなと笑ってみせた。





「着いた」
「すごい。きれい」

彼に連れられた山の奥。見上げた空に、思わず感嘆の声が溢れ落ちる。
どこまでも続く、星の海。人工的な灯りがないこの場所では、とてもよく見える。
彼の周囲で遊んでいた火が消える。星の瞬きさえも見えて、届かないと知りながらも腕を伸ばした。

「気に入った?」
「うん。すごく」
「なら良かった」

いつもとは違う柔らかな彼の声。見下ろす彼の表情もまた柔らかい。
星を掴む事を諦めて、下ろした手で彼の頬を包んだ。
人よりも高く、火よりは低い、彼の温もり。心地好いその温度を堪能していると、くすくすと笑われる。

「可愛いね」
「笑わないでよ」
「それは無理」

笑いながら彼は腰を下ろし、膝に乗せられる。くるりと向きを変えられて、背後から抱き竦める形に収まった。

「こんなに着込まなくてもよかったのに」
「さっき人の事忘れて遊んでたのは誰だっけ?」
「そうだった」

他愛のない話をしながら、空を見上げる。
吐く息は白いけれど、寒さは感じない。背後の彼の温もりが、寒さを忘れさせてくれている。

「暖かくて眠くなりそう」
「家まで送るよ。それかこのままずっと一緒にいてあげる」

それはやだ、と嘯きながらも、それも悪くないと思ってしまい苦笑する。
彼の側にいられるのは、触れられるのは、この冬の寒い日だけ。
それ以外の季節では、熱くて彼に触れられない。夏の日は、側にすらいられなくなってしまう。
彼は火だ。何にも縛られない、自由な火。遊ぶ事が好きで、楽しい事が大好きな、変な妖。

「星もきれいだけど、さっきの遊んでる火もきれいだったよ」

彼に凭れそうつたえれば、周囲を取り囲むように現れるいくつもの火。
ゆらゆら揺れて、くるくる回って。別れて増えて、まとまって一つになる。
楽しそうに遊び出す火に、腕を伸ばす。触れるぎりぎりを漂う火に、熱さを感じない。彼と同じ優しい暖かさに、もっとと強請るように、手招いた。

「少し前までは近くに寄っただけで怒られたのに、現金だな」
「今年の夏は暑かったもん」
「涼しくなっても変わらなかった」
「涼しくても、こんな風に抱きしめられたら熱いよ」
「我が儘…やっぱり、最高だな。この時期は」

触れる事を拒まれない。
彼はそう言って笑う。
それに悪くはないかもね、と答えを返して。
誰かと触れあえる、この短い季節を愛おしく思う。

「ねえ。また連れてきてよ」
「いいよ。応えてあげよう」
「珍しい。いつもは人に応える事なんかしないのに」
「また来たいからね。星の綺麗な夜に、また誘いに行くよ」

分かった、と小指を差し出せば、それに絡まる彼の小指。

「約束ね」

声に出して指切りをして。ありがとう、と小さく呟いた。
お礼の言葉は、少し気恥ずかしい。
どういたしまして、と頭を撫でる彼の手にさらに恥ずかしくなるが、離れる事も出来なくて。

「嘘ついたら、針千本飲ますからね」

心にもない事を言って、彼の腕を軽く叩いた。
大げさに痛がる彼に、馬鹿、と呟き。
大好き、と心の中で囁いた。

その言葉は、ありがとうすらまともに言えない自分には、きっとまだ早い。
いつか言える日を夢見て、誤魔化すように星空を見上げた。



20241219 『冬は一緒に』

12/20/2024, 4:19:12 AM