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整理中の信仰記録の中に、
今でも気になる人が居る、

わたしのブロック、グループに、
仲の良いご夫婦が居て、誰から見ても羨ましい限りの暮らしぶり…

ところが、ある日奥様から話があると言うことで、先生の許可を頂き、ご自宅へ伺った。

開口一番、
「主人のことが憎くて憎くて、ころしたい」

いつもは穏やかな奥様なのだけれど、
みるみるうちに形相が変わって、

「立派なご主人ね、羨ましい、仲が良くて、」と、他人から言われると、ハラワタが煮えくり返る。本当は違うのに、みんなは知らないのだ、と、告白された。

本当は何が違うのかは、書けないけど、
30分くらいは、ご主人に対する罵詈雑言。


ご自宅を後にして、
後日、報告会で先生から叱責を受けた。

「貴女は、〇〇さんの話しを心に入れて聴きすぎです!」と。

相手の話を上の空で聞いて、叱られるなら分かるけど、親身になって聴いて叱られるとは………

よく分からなかった。

先生によると、
「〇〇さんが、どうしたら笑ってくれるだろうか、と、考えましたか? 〇〇さんのお宅から出る時、〇〇さんのお顔は見ましたか? 笑顔でしたか?」


ぜんぶできてなかった。
聴いた話しが衝撃すぎて、
笑ってもらおうとか、笑顔だったか、
とか考えもしなかったし、思い出せなかった。『たいへん……報告しなければ…』そればかりだった。



今も、できてない。
わたしは人の話しを、すぐに心に入れてしまう。それはとても危険な事。


つまり、
今も、『本当の祈り』には、
程遠い。

そう感じる。

つい、心に入れて、
入れっぱなしにしてしまって、
神様へ手放してない。


特にSNSで、文章を読むときは、
気をつけてる。

本は化石のようなものだけど、
SNSは、声なき声だから…
心の手前で、留め置くように。


祈りも、日々鍛錬で、
人の幸せを本気で祈る…、これは、
最も難しい事だと思う。

でも、
本気で他人の幸せを祈る事ができる人って、祈ることよりも、早く行動してるように思う。


(その後そのご夫婦は、話し合いをして円満とまではいかなかったけれど、お互いの気持ちを分かち合う事ができました。)


2025/01/14
今日もそっと、心の中のどんど焼き。

1/14/2025, 11:15:12 AM